|
ティカルは、グアテマラのペテン低地にあった古典期マヤの大都市である。マヤ文明の政治、経済中心都市として紀元4世紀から9世紀ごろにかけて繁栄を極めた。ティカルの遺跡は1979年に世界遺産の複合遺産に登録された。 == 歴史 == 17世紀末、ひとりのスペイン人神父が道を見失い、鬱蒼とした密林の中に迷い込んだ。何日も歩き続け、水も食料も尽きようとしたその時、神父はジャングルにそびえる巨大ピラミッドを発見した。これが熱帯雨林地帯で栄えたマヤ最大の神殿都市ティカルである。マヤ人たちは焼畑農業でトウモロコシをつくって主食にしていた。次々に森林を切り開いていくことで人口を養っていた。 ティカルのもともとの名は、「ムトゥプル」、「(ヤシュ)ムタル」といった。378年、テオティワカンの将軍(siyaj kak/「火の誕生」)によって征服され、テオティワカンの王族の少年であるヤシュ・ヌーン・アイン(「最初のカイマンワニ」)が即位し、新王朝が始まった。古典期マヤにおいては、カラクムルとともに二分する巨大な勢力でいくつもの都市を支配下においた。 王が政を行ったピラミッド群の周囲に6万人もの人々が暮していた。ティカル周辺には大きな川もなく、鬱蒼としたジャングルだけが広がっている。また、乾季になると雨は全く降らない。ティカルの人々にとって雨季に降った雨水を確保することが生きる為に最も重要なことであった。しかし、ティカルの大地は石灰岩で出来ているため、雨水はすぐに浸み込んでしまう。そこで人々はピラミッドなどからの建造物から大地に至るまで町の全てを漆喰で塗り固めた。漆喰は水を通さないので、水は貯水池に溜められ、大切に利用されていた。徹底した水の確保により、大河無き密林にありながら、都市はどんどん発展していった。 しかし、その裏で文明崩壊のカウントダウンが始まっていた。原因は漆喰であった。漆喰を作る為には石灰岩を燃やさなくてはならない。その燃料となるのが周囲の密林の木々。水を確保するには森を破壊することを厭わなかった。やがてティカルの森は消え、そのため土壌が流れ出し、作物が育たなくなっていった。そして10世紀はじめに起こった干ばつを乗り越えることが出来ず、巨大都市ティカルは崩壊していった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ティカル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|