翻訳と辞書
Words near each other
・ ティティ・カマラ
・ ティティーラ山
・ ティテュオス
・ ティディケルト語
・ ティデ・ソンツェン
・ ティデ・ツグツェン
・ ティト
・ ティトゥアン
・ ティトゥス
・ ティトゥス (ロケット)
ティトゥスの凱旋門
・ ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌス
・ ティトゥス・タティウス
・ ティトゥス・フルウィウス・ユニウス・クィエトゥス
・ ティトゥス・ブランズマ
・ ティトゥス・プッロ
・ ティトゥス・ポンポニウス・アッティクス
・ ティトゥス・マンリウス・トルクァトゥス
・ ティトゥス・マンリウス・トルクァトゥス (紀元前235年の執政官)
・ ティトゥス・ユニウス・ブルトゥス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ティトゥスの凱旋門 : ミニ英和和英辞書
ティトゥスの凱旋門[てぃとぅすのがいせんもん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [がい]
 (n) victory song
凱旋 : [がいせん]
 (n,vs) triumphal return
凱旋門 : [がいせんもん]
 (n) arch of triumph
: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 

ティトゥスの凱旋門 : ウィキペディア日本語版
ティトゥスの凱旋門[てぃとぅすのがいせんもん]


フォルム・ロマヌム内での位置(赤丸)

ティトゥスの凱旋門(,)はイタリア ローマフォルム・ロマヌムにある古代ローマ時代の凱旋門。82年、ローマ帝国第11代皇帝ドミティアヌスにより、先代皇帝でドミティアヌスの兄でもあるティトゥスエルサレム攻囲戦等での戦功を称えるため建てられた。
この凱旋門は、16世紀以降に建てられることとなる凱旋門のスタイルの手本とされ、その中には有名なパリのエトワール凱旋門などがある。
中世、が、この凱旋門を砦に造り替えた〔A Let's Go City Guide: Rome, p. 76, Vedran Lekić, 2004; ISBN 1-4050-3329-0〕。また、近世において初めて復元作業が行われた建物のうちのひとつでもある。修復事業は、ローマ教皇ピウス7世のもとで1817年に建築家ラファエル・スターン(Raffaele Stern)が取り掛かり、が引き継いで、1821年に(建設時と異なる方式の)トラバーチンを用いた組積造にて完了した〔。
凱旋門に使われている円柱は、縦溝の有るものと無いものがあり、後者は19世紀の修復で造られたものである〔Art and Architecture of the Roman Empire. Bellona Books. 2006. pp. 45–48. ISBN 978-0-9582693-1-5.〕。
== 碑文 ==
フォルム・ロマヌスの広場側の碑文は
:''SENATVS''
:''POPVLVSQVE·ROMANVS''
:''DIVO·TITO·DIVI·VESPASIANI·F''
:''VESPASIANO·AVGVSTO''
:''(日本語意訳)ローマの元老院と市民は、神聖なウェスパシアヌスの子で、神聖なティトゥス・ウェスパシアヌス・アウグストゥス(にこの門を捧げる)''
逆側の碑文は19世紀の修復時に刻まれたもので
:''INSIGNE · RELIGIONIS · ATQVE · ARTIS · MONVMENTVM''
:''VETVSTATE · FATISCENS''
:''PIVS · SEPTIMVS · PONTIFEX · MAX''
:''NOVIS · OPERIBVS · PRISCVM · EXEMPLAR · IMITANTIBVS''
:''FVLCIRI · SERVARIQVE · IVSSIT''
:''ANNO · SACRI · PRINCIPATVS · EIVS · XXIIII''
:''(日本語意訳)宗教上及び芸術上、稀有な建築物(であるこの門は)時を経て劣化した。ローマ皇帝ピウス7世は、遺跡修復のモデルケースとして補強及び保存を命じた。(皇帝の)聖なる治世24年目のことである''

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ティトゥスの凱旋門」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.