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ティニエブラス(Tinieblas、本名:Manuel Leal Navarro、1939年6月8日 - )は、メキシコの覆面レスラー。メキシコシティ出身。 ''"Tinieblas"'' とはスペイン語で ''"Darkness"'' を意味し、その名の通り、顔の全面が黒いメッシュで覆われた覆面を被って活躍、日本では「暗黒仮面」なる異名が付けられた〔。実子はティニエブラス・ジュニア〔。 == 来歴 == レスリングやボディビル、スタントマンを経験したのち、メキシコのルチャ漫画のキャラクター〔をそのままギミックに取り入れ、1971年8月20日にデビュー(プロレスラーとしてのデビュー年は諸説あり、1965年または1966年ともされる〔)。 メキシコのマット界では異色の大型選手で、1974年9月にエル・レオン・ティニエブラス(''El León Tinieblas'')のリングネームで新日本プロレスに初来日した際も、アントニオ猪木や坂口征二とシングルマッチを行っている。来日時は、外国人選手のエース格だったニコライ・ボルコフのタッグパートナーにも起用された〔。 1975年にEMLLからUWA / LLIに移籍〔。本国メキシコではタイトル戦線に絡むことのない別格扱いのスターだったが、1978年にグアテマラにて世界ジュニアヘビー級王座を獲得した〔。一時プロレスを廃業し、俳優として映画界で活動していた時期もあったが、後に復帰。 1987年1月31日にはアメリカのロサンゼルスにてWWA世界ヘビー級王座を獲得、8月にスペル・ハルコンに敗れるまでタイトルを保持した。同年10月25日にはカネックの持つUWA世界ヘビー級王座に挑戦したが奪取には至らず、メキシコ国内でのタイトル戴冠は果たせなかった。 1991年10月、W★INGプロモーションに息子のティニエブラス・ジュニアと共に来日。翌1992年5月にはロサンゼルスで行われたFMWの興行に出場した。 1992年からはAAAを活動の拠点とし、2000年代からはIWRGなどのインディー団体に参戦した。近年はセミリタイア状態。 マスコット(ミニ・エストレージャ)にアルーシェ(ケモニート)を連れていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ティニエブラス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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