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ティム・ウェイクフィールド : ミニ英和和英辞書
ティム・ウェイクフィールド[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ティム・ウェイクフィールド : ウィキペディア日本語版
ティム・ウェイクフィールド[ちょうおん]

ティム・ウェイクフィールド(Tim Wakefield, 1966年8月2日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州メルボルン出身の元野球選手。フルネームはティモシー・スティーブン・ウェイクフィールド(Timothy Stephen Wakefield)。投手、右投右打。
ナックルボールを武器にメジャー通算200勝を挙げた。
== 経歴 ==
1966年8月2日にフロリダ州メルボルンで生まれ、少年時代から野球に親しむ。リトルリーグでのポジションは遊撃手と投手で、当時は速球を投げる一般的な投球スタイルであった〔古内義明ナガオ勝司大冨真一郎「THE CONSOLATION MATCH ON THE MOUND マウンドにかけた第二の野球人生。/ビクター・ザンブラーノデビルレイズ]&ティム・ウェイクフィールド[レッドソックス]&トロイ・パーシバルエンゼルス]」 『月刊メジャー・リーグ』2004年6月号、ベースボール・マガジン社、2004年、雑誌08625-6、24-26頁。〕。一方で、キャッチボールの際に父がたまに投げるナックルボールを見よう見まねで試していた〔丹羽政善「指先の魔術/ウェイクフィールド[レッドソックス]他」 『月刊メジャー・リーグ』2006年7月号、ベースボール・マガジン社、2006年、雑誌08625-7、26-29頁。〕。
高校時代も野手と投手を兼任していたが、フロリダ工科大学進学後は一塁手に専念。2年次()のシーズン22本塁打、71打点、在学3年間で40本塁打はいずれも同大の新記録であった。のドラフト8巡目(全体200位)でピッツバーグ・パイレーツから指名を受け入団。同大からドラフト指名された史上初の選手となった。
しかし、プロ入り後は「アマチュアとは比べ物にならないくらいレベルの高い」(本人談)〔プロの投手に適応できず、スカウトから「野手を続けても芽は出ない」といわれてしまう。しかし、キャッチボールの際に投げていたナックルがコーチの目に止まり、から投手に転向〔三尾圭 「魔球ナックルを操る男 ティム・ウェイクフィールド レッドソックス」 『月刊スラッガー』2003年8月号、日本スポーツ企画出版社、2003年、雑誌15509-8、29-32頁。〕。にメジャー初昇格を果たすと、13試合に先発して8勝1敗・防御率2.15を挙げ、チームの地区優勝に貢献する。
しかし、は一転してスランプに陥り24試合で6勝11敗・防御率5.61と打ち込まれた。は1年中マイナー暮らしで、翌のスプリングトレーニング期間中にパイレーツから解雇される。この当時のことをウェイクフィールドは、「集中力を欠いたという感じだった。グラウンド内外で注目されて、打者からアウトを取ることよりも、どのような選手になるべきかと頭を悩ませていた。そうなると、次から次へと悪い方向へ物事が転がり、最後にはもう自分自身を信じることができなくなった。」と語っている〔『月刊スラッガー』2005年3月号 日本スポーツ企画出版社 41頁〕。その後1週間ほどでボストン・レッドソックスと契約し、キャンプ地へ。そこでナックルボールの名手だったフィル・ニークロジョー・ニークロの兄弟と出会い、10日ほど指導を受ける〔。シーズン開幕後はメジャーに定着し、16勝8敗・防御率2.95を記録、カムバック賞を受賞し、サイ・ヤング賞投票でも3位になった。
その後は先発・リリーフなど様々な場面で活躍。4月には年俸400万ドルとして、以降は毎年球団オプション400万ドルで延長出来るという契約を結んだ。は7月にあばら骨の疲労骨折により1か月半の間故障者リスト入りとなり7勝しかできなかったが、球団はオプションを行使した。
は勝ち星を量産し、8月25日の時点で16勝を挙げ、に2人そろって最多勝利投手となったニークロ兄弟(フィル・ニークロジョー・ニークロ)以来となるナックルボーラーの最多勝利投手が期待された。しかし、8月末に肩を痛め〔、9月以降は1勝しか上積みできなかったが、自己ベストタイの17勝を記録した。この肩の故障によりポストシーズンはクリーブランド・インディアンスとのリーグチャンピオンシップシリーズ第4戦に登板しただけで、ディビジョンシリーズワールドシリーズではロースターから外れた〔。
メディアやファンは400万ドルのオプションを行使しないのではと危惧が広まったが〔、11月2日に球団はのオプション行使を発表した。
に42歳で初めてオールスターに選出されたが、登板機会はなかった。
9月13日に、メジャー19年目で史上111人目、ナックルボーラーとしては史上7人目の通算200勝を達成した。
2月17日に現役引退を表明。これにより、メジャーでナックルボールを投げるのはR・A・ディッキーのみとなったが、に同じくスティーブン・ライトがメジャーデビューを果たしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ティム・ウェイクフィールド」の詳細全文を読む




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