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ヨハン・セルクラエス・グラーフ・フォン・ティリー(Johann t'Serclaes Graf von Tilly, 1559年 - 1632年4月30日)は、ブラバント公国、Villers-la-Ville(現在のベルギー・ブラバン・ワロン州)出身の将軍、傭兵隊長。三十年戦争ではバイエルン軍を率い、カトリック連盟の総司令官として戦争序盤の主導権を握った。敬虔なカトリック信徒で「甲冑をまとった修道士」と呼ばれた。 == 生涯 == ===前半生=== 1559年、ティリーはブラバント公国のティリー城で貴族の家系に生まれた。若い頃から強い信仰心を持ち、一度はイエズス会に入会しようとしたが、ただ祈るよりも神の敵を排除した方がよいと思い直し、剣で神に奉仕することを決意した。パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼ率いるスペイン軍に参加したのを皮切りに、雇い主を変えながら各地を転戦、着実に軍歴を積み重ねていった。ティリーは軍営でも敬虔な態度を崩さず、常に保護者である聖母マリアに祈りを捧げていた。その敬虔な姿から「甲冑をまとった修道士」と呼ばれるようになった。 1598年からはバイエルン公マクシミリアン1世に仕え、東方から侵攻するオスマン帝国と戦った。この頃にはすでにティリーの名声は確立しており、バイエルン公も彼を高く評価して次々と昇進させた。1601年に騎兵および砲兵少将、1604年に騎兵大将、1605年には陸軍元帥となった。 1608年、神聖ローマ帝国のプロテスタント諸侯はプロテスタント同盟を結成した。これに対抗するため、1609年、バイエルン公を盟主としてカトリック連盟が結成され、ティリーは連盟の総司令官に任命された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ティリー伯ヨハン・セルクラエス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Johann Tserclaes, Count of Tilly 」があります。 スポンサード リンク
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