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テオドシウス2世 : ウィキペディア日本語版
テオドシウス2世[ておどしうす2せい]

テオドシウス2世“カリグラフォス”(Theodosius II. "Calligraphos", 401年4月10日 - 450年7月28日)は、東ローマ帝国テオドシウス朝の第2代皇帝(在位:408年 - 450年)。初代皇帝アルカディウスの子。“カリグラフォス”は「能書家」の意味。
父を補佐する副帝を、402年から408年までの6年間務めた。408年、父アルカディウスの死により正帝に即位する。
テオドシウス2世は「能書家」というあだ名の通り書に優れていた教養人でもあり、神学学問の方面に熱中して政治を顧みなかった。政治は重臣が行ない、その在位中に「テオドシウスの城壁」と呼ばれる難攻不落の大城壁建造による首都コンスタンティノポリスの防衛強化や『テオドシウス法典』の整備など、東ローマ帝国の基礎が作られたのである。
421年サーサーン朝との間にが勃発。
テオドシウス2世の治世にはフン族アッティラに度々侵入されていたが、サーサーン朝425年からエフタルの侵入に悩まされていた。この戦争は1年で終結し、平和条約により「戦前の状態 (Status quo ante bellum)」に回復された。
その後勃発したをヴァンダル族の侵入により速やかに終結させた後、テオドシウス2世は、サーサーン朝のと441年に相互不可侵を結んだ。
だが450年、テオドシウス2世は乗馬中の事故で急死。帝位は彼の姉と結婚したマルキアヌスが継いだ。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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