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テオドル・コスケンニエミ : ウィキペディア日本語版
テオドル・コスケンニエミ

テオドル・コスケンニエミFredrik Teodor Koskenniemi1887年11月5日1965年3月15日)は、フィンランドの元陸上競技選手である。 彼は、1920年に開催されたアントワープオリンピッククロスカントリー団体〔クロスカントリー団体競技は、1912年のストックホルムオリンピックから1924年のパリオリンピックに至る3大会で実施された競技である。選手は国ごとにチームを組み、クロスカントリー個人競技で上位になった3選手の順位を点数化してメダルを争った。〕 競技で金メダルを獲得した。
== 経歴 ==
コスケンニエミは、このオリンピックで5000メートル走、クロスカントリー個人と団体の3競技に出場している。5000メートル走では、決勝で15分17秒0の自己ベストを出したものの4位となってメダルに手が届かなかった〔Athletics at the 1920 Antwerpen Summer Games:Men's 5,000 metres 〕。
クロスカントリー個人では、27分57秒2で6位に入り、1位になったパーヴォ・ヌルミ、3位に入ったヘイッキ・リーマタイネンの順位とあわせて10得点でフィンランド代表チームが団体1位となり、21得点のイギリス代表チームや23得点のスウェーデン代表チームを抑えて金メダルを獲得した〔Athletics at the 1920 Antwerpen Summer Games:Men's Cross-Country, Team 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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