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テオドール・ゼーフェッケ : ミニ英和和英辞書
テオドール・ゼーフェッケ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

テオドール・ゼーフェッケ : ウィキペディア日本語版
テオドール・ゼーフェッケ[ちょうおん]

テーオドール・エーミール・ゼーフェッケゼーヴェッケSaeveckeの発音 〕、Theodor Emil Saevecke, 1911年3月22日 - 2000年)は、ドイツの軍人、警察官、諜報員。ナチス・ドイツの時代に親衛隊(SS)の隊員としてチュニジアでのユダヤ人強制労働やイタリアでの虐殺に関与したとされる。SSにおける最終階級は親衛隊大尉(SS-Hauptsturmführer)。戦後はアメリカ中央情報局(CIA)やドイツ連邦刑事局(BKA)のエージェントとして活動した。
== 経歴 ==
1911年、軍人の息子としてハンブルクに生を受ける。にて実科学校(Realschule)を卒業し、その後およびの実科ギムナジウム(Realgymnasium)、リューベックのに通った〔に掲載された履歴書の記載。Mallmann, Cüppers: ''Halbmond'', P. 202. Schenk: ''Auge'', P. 267-268, 348. Naftali: ''CIA'', P. 354-355. Ernst Klee: ''Personenlexikon zum Dritten Reich. Wer war was vor und nach 1945.'' Fischer Taschenbuch, Frankfurt am Main 2005, ISBN 3-596-16048-0, P. 518.〕。しかし1930年2月、12年生(Unterprima)で同校を退学となる。後のナチス・ドイツの時代にはこれを回想し、「学校教育もユダヤ主義・マルクス主義の影響下にあったのだ」と述べている〔1940年6月25日作成の履歴書。より引用。〕。
その後、国有商船団(Handelsmarine)の乗組員としての教育を受け、1930年12月と1932年6月には練習船「」号に乗りこみ南米西海岸への航海に参加している。教育を終えた後にはオーストラリア向け穀物輸送を担っていた小型バーク船「」号の乗組員となった。1934年3月27日に結婚し、その3日後には船舶乗組員を辞めている。
1934年10月1日、リューベック警察に刑事委員候補(Kriminal-Kommissaranwärter, 士官候補生に相当)として採用される。1937年より保安警察職員としての教育を受け、正式な刑事委員(Kriminalkommissar)に任官した。その後、火事・災害課(Brand- und Katastrophendezernat)の警官としてベルリンに移る。またベルリン勤務中の1938年11月にはドイツで初めてのテレビ放送を利用した殺人事件捜査に同僚と共に参加した。当時市内で発生したタクシー運転手殺害事件を追っていた当局は、情報の提供を求める番組を市内28箇所にあった街頭テレビで放送した。その後、多くの手がかりが警察に寄せられ、犯人の特定に繋がった〔テレビ捜査に関する歴史の生き証人としてのSaeveckeについてはDeutschlandfunk 12. Juni 1998 .〕。
なお、ゼーフェッケは1926年6月29日より率いるフライコール組織の青少年部に所属し、1928年12月15日には突撃隊(SA)に入隊を果たし、1929年2月1日より国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP, ナチ党)の党員となっている。党員番号は112,407であった。少なくとも1938年まではSAの活動に積極的であったが、その後親衛隊(SS)に移っている。SS隊員番号は396,401。SS入隊の正確な日付は不明〔1940年6月25日作成の履歴書でSaeveckeはこう書いている。„Meine Übernahme zur SS schwebt bei der SD Dienststelle in Posen.“(私のSSでのコードネームがSDのポズナニ支部のあたりをうろついている) より引用。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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