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テオドール・デーラー : ミニ英和和英辞書
テオドール・デーラー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

テオドール・デーラー : ウィキペディア日本語版
テオドール・デーラー[ちょうおん]

テオドール・デーラーTheodor Döhler 1814年4月20日 - 1856年2月21日)は、ドイツピアニスト作曲家
ジュリアス・ベネディクトカール・ツェルニージーモン・ゼヒターに師事し、ロマン派ヴィルトゥオーゾピアニストとして名をはせた〔Henri Bertini (1798-1876) & Theodore Dohler (1814-1856), by Jeffrey Kallberg, 1993. Routledge. ISBN 978-0-8153-0855-3〕。
== 生涯 ==
デーラーはナポリで生まれた。彼の父(1843年ルッカで没)がそこに住み、カペルマイスターを務めていたからである。神童であったデーラーはこの地で指揮者のジュリアス・ベネディクトから最初の音楽教育を受けた。デーラーがナポリで公開演奏会をするようになったのは13歳の時である。
1827年、デーラーは父がルッカで働くことになったため、共にそこへ移り住んだ。1829年から1834年にはウィーンに居を構え、ツェルニーの下でピアノを学び、同時期にジーモン・ゼヒターから作曲の指導を受けていた。次に彼の足取りが分かるのは1838年リストがウィーンに、タールベルクが再びパリにいた時である。1832年に、デーラーはルッカ公国の援助を受けることができるようになった。1834年から1845年にはコンサートピアニストとしてヨーロッパを旅して周り、イタリアフランスオランダデンマークポーランド、ロシアで演奏を行った。彼はピアニストとして非常に成功し、人気を博したヴィルトゥオーゾであったと考えられている。
1846年、デーラーを援助していたルッカ公国が彼に男爵の地位を与えた。貴族の一員となったデーラーは、その年にロシアの王女であるエリーゼ・シェレメテフ(Elise Sheremeteff)婦人と結婚することができた。これにともなって、デーラーは公開演奏から引退してしばらくの間モスクワに落ち着く。1848年にはナポリへと戻り、そこでピアノ小品やオペラ「''Tancreda''」を作曲した。このオペラが初演されたのは、1856年フィレンツェでの彼の死から24年後の、1880年のことであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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