翻訳と辞書
Words near each other
・ テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク
・ テオバルト・フォン・ベートーマン・ホルヴェーク
・ テオバルト・ベーム
・ テオバルド
・ テオバルド1世
・ テオバルド1世 (ナバラ王)
・ テオバルド2世
・ テオバルド2世 (ナバラ王)
・ テオパンテクアニトラン
・ テオファニス・ゲカス
テオファヌ
・ テオファノ
・ テオフィリン
・ テオフィル・アレクサンドル・スタンラン
・ テオフィル・オーブ
・ テオフィル・ゴティエ
・ テオフィル・ゴーチェ
・ テオフィル・ゴーチエ
・ テオフィル・ゴーティエ
・ テオフィル・デルカッセ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

テオファヌ : ウィキペディア日本語版
テオファヌ

テオファヌ(Theophanu, 960年 - 991年6月15日)は、神聖ローマ皇帝オットー2世の皇后。ギリシャ語名のテオファノ(Theophano)、テオファニア(Theophania)という記載もある。
東ローマ帝国首都コンスタンティノープルで生まれる。東ローマ皇帝ヨハネス1世ツィミスケスの姪といわれているが、ロマノス2世と皇后テオファノの娘という説もある。キエフ公国の公妃となったロマノス2世の皇女アンナ・ポルフィロゲネタとともに、初めて外国へ嫁いだ東ローマ皇族であるといえる。
オットー1世は、同盟の証に東ローマ皇族の皇女を息子オットーの妃とするため要求、これに応えて、972年に皇女を送る豪華な使節団が到着した。
2人は972年4月、ローマサン・ピエトロ大聖堂ローマ教皇ヨハネス13世の立ち会いの下に結婚した。また、同じ日にテオファヌは皇后として戴冠した。
2人の間には5人の子供が生まれた。
* アーデルハイト(977年生、僧籍)
* ソフィア(978年生、僧籍)
* マティルデ(979年生、ロタリンギア伯エッツォ妃)
* オットー3世(980年生)
* 女児(オットーの双子の妹。出生から3ヶ月で夭折)
テオファヌは夫の遠征に自ら同行し、統治でも彼の隣で采配を振った。彼女によってもちこまれた東ローマ文化は、夫の宮廷を華やかにした。その例として、当時手づかみで食事をしていた西ヨーロッパに、東ローマ帝国宮廷で用いられていた食卓用フォークをもたらしたことはよく知られている。一方、夫の生母で、義母にあたるブルグントのアーデルハイトはテオファヌを好まず、彼女が亡くなったとき大喜びしたという。
983年にオットー2世は死去し、ローマに葬られた。テオファヌはまだ幼いオットー3世の摂政を991年まで務めた。
テオファヌは991年に死去し、ケルンに葬られた。
== 関連項目 ==

* リュートプランド (クレモナ司教)

category:東ローマ帝国の人物
category:神聖ローマ皇后

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「テオファヌ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.