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テオファノ : ウィキペディア日本語版
テオファノ

テオファノ(Theophano / , 941年頃〔井上(2009) P156〕 - 没年不詳)は、東ローマ皇帝ロマノス2世皇后。皇帝バシレイオス2世コンスタンティノス8世およびキエフ大公妃アンナの母親。ロマノスの死後にはニケフォロス2世フォカスの皇后となり、同時にヨハネス1世ツィミスケスの愛人となった。絶世の美女として伝えられ〔、東ローマ帝国史上最大の悪女〔ともいわれている。
== 生涯 ==

=== ロマノスとの結婚 ===
テオファノの素性はよく知られていない。「酒を売っている親から生まれた」という記載が年代記にあることから、居酒屋の娘か葡萄酒商人の娘だと解釈されている〔井上(2009) P156-157〕。本名はアナスタソ(Anastaso)といった。庶民の娘であるテオファノがどういった経緯で皇太子であるロマノスと知り合ったかは不明である。このため様々な空想がなされており、ある歴史小説は、狩りの途中で瀕死の重傷を負ったロマノスがテオファノの父の家に担ぎこまれ、そこでテオファノに介抱された〔井上(2009) P157-158〕としている。また、東ローマ帝国では皇太子妃をコンクールで選ぶことがあったのではないかとされており、テオファノの場合もそれであった可能性もある〔。956年前後に正式にロマノスと結婚し、その際にテオファノと改名した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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