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テオ・ファビ : ウィキペディア日本語版
テオ・ファビ

テオドリコ・"テオ"・ファビTeodorico "Teo" Fabi, 1955年3月9日 - )は、ミラノ出身のイタリア人レーシングドライバー。1982年にF1デビューし、1987年にF1を引退。1983年から1995年まで、インディ500にも参戦した。
== 経歴 ==

=== F1 ===
1982年開幕戦の南アフリカGPでトールマンよりF1に参戦。第4戦のサンマリノGPで、初めて予選を通過しデビューとなった。この年、予選通過は7回。予選不通過は7回(うち1回は予備予選落ち)。入賞は無し。
1年のF1休養後、1984年はブラバムより参戦。アメリカ東GPで初入賞(3位表彰台)。3度の入賞を果たし9点を獲得。インディ500参戦などにより5戦に不参加。代役は弟のコラード・ファビが務めた。
1985年にはトールマンに戻り参戦するも、チームがタイヤを確保できずに開幕3戦には参戦できなかった。その後、第9戦ドイツGPにて初のPP獲得した。これは、トールマンチームとハートエンジンにとっても初のPPだった。しかし決勝ではマシントラブルのために結果が出ず、無得点でシーズンを終えている。
1986年はチームに残留したが、チームは「ベネトン」に名称を変更した。第12戦オーストリアGP、第13戦イタリアGPでは連続PPを記録したが、信頼性の低いマシンのためにリタイヤが多く、ドライバーズポイントは2点(5位1回)に終わった。この年、チームメイトのゲルハルト・ベルガーがチーム初優勝をもたらした。
1987年もベネトンより参戦した。チームメイトはティエリー・ブーツェンであった。ポールポジションの獲得はならなかったものの、堅実にポイントを重ね12ポイント獲得した。しかし、その開発手腕を買われてアメリカのチャンプカー・ワールド・シリーズポルシェエンジンプロジェクトに移ることとなり、この年限りでF1から去った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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