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テオ・ファン・ドゥースブルフ : ミニ英和和英辞書
テオ・ファン・ドゥースブルフ[ぶる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

テオ・ファン・ドゥースブルフ : ウィキペディア日本語版
テオ・ファン・ドゥースブルフ[ぶる]

テオ・ファン・ドゥースブルフ〔崔在錫「テオ・ファン・ドゥースブルフの言説からみた建築造形概念」、1992年〕(Theo van Doesburg,1883年8月30日-1931年3月7日。本名はChristiaan Emil Marie Küper)は、オランダ画家建築家美術家I・K・ボンセット(I. K. Bonset)、アルド・カミーニ(Aldo Camini)などの筆名も用いた。
== 経歴 ==
オランダのユトレヒトに生まれる。父親は写真家。
1917年ライデンにて、ピエト・モンドリアン、バート・ファン・デル・レック(Bart van der Leck, 1876年-1958年)らとともにデ・ステイルを結成し、同名の雑誌を刊行(1928年まで)。新造形主義抽象絵画(非具象芸術)の普及に努める。
1920年代初頭にはバウハウスと交流し、講師にはなれなかったが、自身の思想をバウハウスに浸透させることに成功した。
1923年にはコーネリアス・ファン・エーステレンと共同でデ・ステイル建築計画案を発表している。また、1920年代を通じ、構成主義者(エル・リシツキーなど)やダダイストトリスタン・ツァラハンス・アルプ)などと幅広く交流し、その間の橋渡しも行った。
1920年代半ばには、要素主義を導入し、モンドリアンと対立、モンドリアンは、デ・ステイルを離脱した。
1931年、オーギュスト・エルバン(Auguste Herbin; 1882年-1960年)、ジョルジュ・ファントンゲルロー(Georges Vantongerloo, 1886年-1965年)らに協力して、パリで、「アプストラクシオン=クレアシオン(抽象=創造)」(Abstraction-Creation)の創立に参加するも(なお、アプストラクシオン=クレアシオンには、モンドリアンも参加し、交流が復活していた)、同年急逝。
著書『新しい造形芸術の基礎概念』が訳されている。(宮島久雄訳、<バウハウス叢書6>中央公論美術出版、1993年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「テオ・ファン・ドゥースブルフ」の詳細全文を読む




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