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テクストゥス・レセプトゥス(〔教会ラテン語の標準発音(ローマ式)に従うなら/rɛˈtʃeptus/(レチェプトゥス)となるべきであるが、レセプトゥスという読みが慣用形として定着している。〕:「受け入れられたテキスト」の意味)は、デジデリウス・エラスムスとオランダの人文学者たちによって校訂され、1516年に印刷されたギリシア語新約聖書本文のこと。共認定本とも呼ばれる。出版された最初のギリシア語新約聖書でもある。 後にウィリアム・ティンダルの英訳聖書、マルティン・ルターのドイツ語訳聖書(ルター聖書)など宗教改革期以降に作られた多くの翻訳聖書の底本として用いられ、正統的な新約ギリシア語本文としての権威を得た。が、近代になると、聖書学者たちはテクストゥス・レセプトゥスのもととなったギリシア語写本は東ローマ帝国からもたらされたビザンティン型に属するもの(小文字写本)で古くても12世紀以前にはさかのぼらないことを明らかにし、より古く、より良質な写本によって原文を確定しようとする本文批評学が確立した。その結果「テクストゥス・レセプトゥス」は今日では「(もはや)受け入れられないテキスト」となっている。 ==概説== エラスムスのまとめたテクストゥス・レセプトゥスの最初の版は、内容を精査せずにとりあえずまとめたという印象を与えるものである。時間をかけて準備していないため印刷版には誤植なども見られるだけでなく、「ヨハネの黙示録」のギリシア語テキスト自体を入手できなかったため、エラスムスがヴルガータのラテン語を見て自分で翻訳をつくったこともよく知られている。 19世紀の歴史学者でラテン語とギリシア語に通じていたフレデリック・ノーラン(Frederick Nolan)はテクストゥス・レセプトゥスを高く評価し、使徒時代にまでさかのぼることができる由緒あるテキストであるとみなした。ノーランはエラスムスが多くのテキスト(異本)を吟味した上で考えうる最高のギリシア語聖書テキストを作り出したと考えた。 しかし現代の聖書学者たちは、エラスムスが参照できたテキストの数は非常に限られたものであったという見解で一致している。時間の制約、地理的制約、輸送や移動手段の未発達、重要なテキストが未発見であったことなどの理由からエラスムスが用いたテキストは限定されていて、その起源も使徒時代などでなくどんなに古くても12世紀にしかさかのぼりえないもの、現代の研究水準から見れば決して優れているとはいえないものである。 1522年に出されたエラスムスのギリシア語新約聖書第三版では「コンマ・ヨハンネウム」と呼ばれる箇所が挿入された。13世紀の写本のうち、たった一つにしか現れないものであり、エラスムスも「信頼性には疑いがある」と断りをつけている。 16世紀に入ると、多くのギリシア語聖書が世に現れたが、「テクストゥス・レセプトゥス」という名前は基本的に二つのギリシア語新約聖書にのみ用いられる。それはパリ大学のロベルトゥス・ステファヌスが1550年に校訂したものと、ライデンのエルゼビア社(Elzevirs)が1624年に発行し1633年に再版したテキストである。もともと「テクストゥス・レセプトゥス」という語はこのエルゼビア社のギリシア語聖書(1633年版)の前書きにあるラテン語序文から生まれたものである。そこには「textum ergo habes, nunc ab omnibus receptum」、すなわち「あなたが手にしたこの聖書こそがすべての人に受け入れられたものである」という意味の文章があり、そこから「textum receptum」という語が抜き出され、対格から主格に変えて「textus receptus」という言葉が生み出されたのである。 現代の聖書学者たちはより正確なギリシア語新約聖書テキストを確定するためにテクストゥス・レセプトゥスを参照することはない。主に用いるのは時代的にもっとも古いアレクサンドリア型に属する写本であり、テクストゥス・レセプトゥスは異読の参照程度に用いられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テクストゥス・レセプトゥス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Textus Receptus 」があります。 スポンサード リンク
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