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テクラ・ボンダジェフスカ : ミニ英和和英辞書
テクラ・ボンダジェフスカ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


テクラ・ボンダジェフスカ ( リダイレクト:テクラ・バダジェフスカ ) : ウィキペディア日本語版
テクラ・バダジェフスカ

テクラ・ボンダジェフスカ=バラノフスカ(、1834年/1838年 - 1861年9月29日)は、ポーランド出身の作曲家ピアニスト。二重姓の後半は夫の姓(の女性形)でしばしば省略されることがあり、日本ではオゴネクを省いたラテン文字表記からの転写等で一般にテクラ・バダジェフスカ、あるいはテクラ・バダルジェフスカと表記される(ポーランド語では rz という綴りで一音の有声そり舌摩擦音を表す)。
== 人物・来歴 ==
ボンダジェフスカ(バダジェフスカ)はワルシャワから北北西に100km離れた町ムワヴァMława)の生まれで、生年を1834年とする説と1838年とする説がある。彼女は本格的な音楽教育は受けていなかったが、サロンでのピアノ演奏家として活躍し自ら作曲も行っていた。1856年、18歳あるいは22歳ごろの時に作曲した『乙女の祈り』(, )がパリの音楽ニュース雑誌に掲載され、その名が広く知られるところとなった。この曲を作曲したのち、J・バラノフスキと結婚し5人の子供をもうけたとされる。この曲を含め小品を35曲ほど作曲したが、1861年に病弱のためにワルシャワにて23歳あるいは27歳ほどで夭折。彼女に関する作品や資料については第二次世界大戦等により大半が消失したため、現在では『乙女の祈り』以外はほとんど知られておらず、特に本国ポーランドでは認知度が低い〔NHK海外ネットワーク2009年10月4日放送分より〕。これは「祈り」という言葉が、共産圏の影響下にあったポーランドで不適切とみなされたためとの見方のほか〔NHK海外ネットワーク2009年10月4日放送分より〕、音楽に高い芸術性を求められた時代、音楽教育を受けていないこの『少女』に対して、「浅薄な素人くささを超えられなかった」と、19世紀の音楽事典が酷評したことからも、当時の「偏見」の存在を理由とする見方もある〔「『乙女の祈り』を探して」 2007年10月23日朝日新聞〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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