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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ビー : [びー] (n) bee, (n) bee ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
テスコガビーは日本の競走馬。1975年の桜花賞・優駿牝馬(オークス)の牝馬クラシック二冠を達成した。1974年優駿賞最優秀3歳牝馬、1975年同最優秀4歳牝馬。1977年、休養からの復帰調整中に心臓麻痺で急死した。 半弟に東京大賞典など大井競馬で重賞4勝を挙げたトドロキヒリュウ(父クロケット)がいる。 == 生涯 == 静内の中小生産者・福岡牧場に生まれる。当時の牝馬としては非常に筋骨隆々とした大柄な馬であり、馬を買い付けにやってきた調教師は牝馬と知ると一様に驚いたが、しかしこの性別が敬遠され、すぐには売れなかった。その後、東京競馬場で厩舎を営んでいた仲住芳雄が馬の仲買人より話を聞き、福岡牧場を訪れる〔仲住は当時テスコボーイの産駒を探しており、「面白いテスコボーイ産駒がいる」と話を持ち掛けられていた。(『桜花賞十番勝負』p.201)〕。仲住はその雄大な馬体を気に入り購入を決める。この当初、仲住は仔馬の性別を聞かされておらず、体躯の様子から牡馬であると思い込んでいたが、歩様を確かめるために歩かせてみた際、股間にペニスがないことに気付き、初めて牝馬であることを知ったというエピソードがある〔『桜花賞十番勝負』 p.204〕。その後仲住の希望により、青森県の明神牧場で育成調教が行われたが、当時、競馬場の厩舎に入る以前に本格的な調教を行うのは期待馬に限られていた〔『サラブレッド101頭の死に方』 p.198〕。年が明けて競走年齢の3歳になり、3月に「テスコガビー」と名付けられて仲住の元に入厩。馬名の由来は父テスコボーイからの「テスコ」に加え、馬主の隣家に住んでいたガブリエルというスイス人の少女の愛称「ガビー」から取られた〔『優駿』p.39〕〔この少女はテスコガビーがオークスに優勝した際、そのすぐ傍らで口取り写真(関係者が揃って馬の轡を取り撮影される記念写真)に収まっている。(『優駿』p.43)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テスコガビー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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