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テッキョンは朝鮮半島の武芸・民間遊戯。プムバルキ()という独特のステップを踏み、足払い・蹴り・投げ技を繰り出す。韓国の文化財庁によれば、相手を倒すためのものではなく、精神修養のもので、格闘技とは異なるとしている〔。韓国では1983年に重要無形文化財第76号に指定されている。2011年ユネスコ無形文化遺産に登録され、現在では韓国伝統テッキョン協会を中心に50人余りの公式履修者がテッキョンを守っているという〔http://japanese.joins.com/article/951/145951.html〕。 == 歴史 == 李氏朝鮮末期に林虎(イム・ホ、)からテッキョンを伝承した宋徳基(ソン・トクキ、)が近代のテッキョンを代表する人物であるという。戦後幾つかの団体が設立され、現在では韓国で全国規模の大会も実施し、国民体育化を図っている。なお練習施設は道場ではなく、「伝修館」と呼ぶ。 テッキョンの特徴としては、音楽的で舞踊のように動き、攻撃よりは守備に重きを置き、足を多く動かす〔〔Kickass Miracles - T'aekkyŏn http://www.youtube.com/watch?v=l3nmjKvOADo〕。古代のテッキョンは、手が地面に付けば負けるというルールで〔송덕기의 생애와 택견 형태 및 전수내용(宋德基の生涯とテッキョンの形態及び伝授内容)공현욱 2013 龍仁大學校〕、朝鮮中期・朝鮮末期には鍾路、仇里介、往十里を代表にソウルを中心に盛んに行われたという〔http://terms.naver.com/entry.nhn?docId=1789845&cid=4568&categoryId=4568〕。 韓国でテッキョンは三国時代にはすでに行われていた武術であるとしている。その根拠として5世紀に描かれた高句麗壁画古墳の一つである安岳三号墳の壁画(いわゆる万能壁画 )にテッキョンが描かれているとしている〔韓国 文化財庁 〕が、この壁画では両手を横に開いた二人の人物が相対している絵が描かれているのみであり、現在行われているテッキョンの特徴である足技は描かれていない。また『靑丘永言』(1728年)に「탁견」と書かれていること、『才物譜』(1798年)にも「탁견」が『海東竹枝』(1921年)には「托肩」、『朝鮮語大辞典』(1920年)には「택견」と書かれており、これをテッキョンであるとしている〔『才物譜』(1798年)には「卞 手搏爲卞 角力爲武 苦今之탁견」と書かれているが、このことからテッキョンの漢字表記が「手搏」、「卞」、「角力」、「武」としている。『高麗史』と『朝鮮王朝実録』には「手搏」の記録が残されている。ただし「手搏」とは素手の武術の意味であり、それがテッキョンになる根拠は不明。〕。さらに19世紀中期に活動した劉淑( 1827年-1873年)の描いた大快図(大快圖 )という絵に対峙した二人が描かれており、これはテッキョンをしている姿だと言われ、その二人の周りを酒を飲んだりタバコをすったりしている見物人が囲む様子が描かれている。 朝鮮半島の歴史書である『三国史記』『三国遺事』『高麗史』『高麗史堤綱』『高麗史節要』『朝鮮王朝実録』のいずれの原文にも、「テッキョン」に関する記載は無く、さらに古式を伝える日本や中国のような流派・門派や伝書・巻物も存在はしておらず、漢字表記や原型が不明である。 北朝鮮の労働新聞では「テッキョンは正当で世界最古の武道であり、その発祥の地は平壌である」(2006年8月16日付)〔正統武道のテッキョン 平壌が発祥地 (朝鮮新報 日本語版) 〕と主張しているが、記事中ではその根拠となる史料は一つも紹介されていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テッキョン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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