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テッサロニキ王国(英語:Kingdom of Thessaloniki, 1204年 - 1224年)は、第4回十字軍の後に、モンフェラート侯ボニファチオがギリシアのテッサロニキを中心に築いた短命の十字軍国家。テッサロニカ王国、サロニカ王国とも。 ==概略== モンフェラート侯ボニファチオは、以前から東ローマ帝国と関係を持ち、コンスタンティノポリス攻略後、前皇妃のハンガリー王女マルギトと結婚し、第4回十字軍の指導者でもあったためラテン帝国皇帝の最有力候補と見なされていたが、強力な皇帝を嫌うヴェネツィア共和国の意向により皇帝に選ばれず、ギリシアに行きテッサロニキ王国を建国した。 同国はギリシア人の支持を受けて、マケドニアからエーゲ海まで領有したが、ブルガリア帝国やエピロス専制侯国と対峙していた。また前皇帝アレクシオス3世がコリントスを占領していたが、これを破ってアカイア公国、アテネ公国の建設を助け、その宗主権を有した。 しかし、1207年9月にブルガリアのカロヤンに急襲され、ボニファチオは戦死した。王位は遺児デメトリオに渡った。幼児に過ぎなかったデメトリオの地位を巡って貴族達が権力を握りラテン帝国に反抗した。ラテン帝国皇帝アンリ・ド・エノーは、1209年5月にこれらの貴族達を破り、王国の摂政権を得た。その後、エピロスやブルガリアの攻撃を一旦、はね返したが、ラテン帝国自体がニカイア帝国等に対する防衛に忙しく、テッサロニキ王国にまで手が回らない状況であり、1215年にエピロスの君主がテオドロスに代わると、王国領は次々とエピロスに併合されていった。1224年にデメトリオが親政を始めるとまもなく、エピロス専制侯国にテッサロニキを攻略され、デメトリオは亡命して王国はエピロスに併合された。しかし、その王号のみは長らくモンフェラート侯アレラーミチ家の権利として残された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テッサロニキ王国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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