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テッド・シモンズ : ウィキペディア日本語版
テッド・シモンズ

テッド・シモンズTed Lyle Simmons:テッド・ライル・シモンズ 1949年8月9日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州ハイランドパーク出身の元プロ野球選手捕手)。右投両打。
==略歴==
6月6日に、ドラフト1巡目でセントルイス・カージナルスから指名を受け、プロ入り。プロ2年目となる9月21日ロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーデビューを果たした(デビュー戦には「7番・捕手」で出場。3打席ともクラウディ・オスティーンと対戦。第1打席は三振、第2打席はシングルヒット、第3打席は四球という結果)。しかし、シーズンが終盤に近かった事もあって、シモンズはその後1試合に出場しただけで、3打数1安打打率.333という成績でシーズンを終えた。
も5試合で打率.214と、数字を残す事が出来なかったが、メジャー3年目となるに飛躍。打率.243、3本塁打、24打点と打撃成績こそ平凡以下だったものの、82試合に出場した。には遂にレギュラーの座を手に入れ、まで3年連続で.300以上の打率を記録。その間、MVP投票でもそれぞれ16位、10位、14位にランクインしている。また、と1973年にはオールスターゲームにも出場している。は打率こそ.300を下回ったものの、いずれも自身初となる20本塁打、100打点を記録。3年連続となるオールスター出場、MVP投票で13位にランクインなど充実した1年となった。は打率.332と大爆発。MVP投票では自己最高となる6位にランクインした。こそ今一つの成績に終わったが、から4年連続で20本塁打以上、80打点以上をクリア。オールスターにも4年連続で出場した。
12月12日、シモンズはトレードでミルウォーキー・ブルワーズに放出された(トレードの内訳:シモンズ、ローリー・フィンガーズ投手、ピート・ブコビッチ投手がブルワーズに移籍。シクスト・レスカーノ外野手デビッド・グリーン外野手〔レスカーノは1987年に大洋ホエールズで、グリーンは1986年に近鉄バファローズでプレイした。ただし、レスカーノは開幕前に入団して1か月ほどプレイして引退。グリーンはシーズン途中の来日で、シーズン終了後に解雇となった。〕、ラリー・ソレンセン投手がカージナルスに移籍)。ブルワーズ移籍1年目となったはわずか100試合の出場に留まり、打率.216、14本塁打、61打点と大きく期待を裏切る成績に終わったが、5年連続でオールスターには出場している。その後、は23本塁打、97打点、は打率.308、108打点と復活。オールスター出場、MVP投票19位ランクインなど、カージナルス時代の輝きを取り戻し、11月7日にFAとなったが1月16日にブルワーズと再契約を結んだ。しかし、捕手というハードなポジションを続けていた事もあってか、その後は年々成績が低下した。
3月5日にトレードでブレーブスに移籍(トレードの内訳:シモンズがブレーブスに移籍。リック・セロン捕手、マイナーリーガーのデービッド・クレイフラビオ・アルファロがブルワーズに移籍)。しかしその後、ブレーブスでは思うような成績を残す事が出来ず、に引退した。
引退後は、ピッツバーグ・パイレーツGM、ブルワーズとサンディエゴ・パドレスでコーチを歴任し、現在はシアトル・マリナーズのシニアアドバイザーを務める。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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