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テトロポリキョン星人 : ミニ英和和英辞書
テトロポリキョン星人[ひと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほし]
 【名詞】 1. star 
: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1

テトロポリキョン星人 ( リダイレクト:田中裕二 (お笑い芸人) ) : ウィキペディア日本語版
田中裕二 (お笑い芸人)[たなか ゆうじ]

田中 裕二(たなか ゆうじ、1965年1月10日 - )は、日本の漫才師、お笑いタレント随筆家俳優
血液型はB型。芸能プロダクションはタイタン所属。太田光との漫才コンビ「爆笑問題」のツッコミ、リーダー担当。身長は154cm。妻はタレントの山口もえ
== 来歴 ==

* 東京都中野区鷺宮に生まれた〔『新 家の履歴書』(『週刊文春 2008・11月20日号、90頁)〕。35歳で結婚するまでずっと同じ家にいた〔。
* 幼少期は「田中もず」というマイクネームDJとしてラジオで活躍するのを夢見ていた。 中野区立若宮小学校中野区立第八中学校を経て東京都立井草高等学校に進学。高校時代は太田と対照的に人気者で、「ウーチャカ」という愛称で「ウーチャカ大放送」という校内ラジオ放送のパーソナリティをやっていた〔「ウーチャカ」とは最初のあだ名「裕くん」から子音を取って「ウー君」となり、「ウー君」がパンを食べているところを見た友達が「ウー君」がパンを食べているから「ウーパン」と呼んだことによって「ウーパン」に変化し、最終的に「ウーチャカ」に落ち着いたとされる。〕。この頃から生島ヒロシに憧れ、アナウンサーを目指していたという。全校生徒によるアンケートで「ミスター井草」にも選出されたこともあった〔田中裕二(爆笑問題)の「ザ・ガール」110ページ。〕〔しかし表彰式は極少数で行われたため当時の在校生の間でも「ミスター井草=田中」の認識度は低く、太田が当時の在校生にそれを質問しても「知らない」と答える人ばかりであった。〕。
* 「ウーチャカ大放送」のテープを、爆笑問題結成初期の時代、自動車に乗るたびにカー・オーディオで太田に聞かせていた。その内容は、2008年6月27日のコンビ結成20周年記念となった『爆笑問題の検索ちゃん』(テレビ朝日系)にて放送され、不評だった。
* 早稲田大学のアナウンス研究会が憧れで、早稲田大学教育学部も受験したが、受験日を1日間違えるという致命的な失敗を犯してしまった。その失敗の教訓を得てか、一浪を決意し、難関の駿台予備学校新宿校午前部(東大、一橋、早稲田、慶應を目指すコース)に合格し浪人生活を送る〔。明治大学、立教大学には不合格だったが、日本大学芸術学部演劇学科に合格し(第一志望は放送学科だったが不合格。このとき、実技試験に野球のユニフォームを着て臨んだが、本人は大学に落ちたものだとばかり思っていたと告白〔)、太田と出会う。日芸時代でも田中本人が「ウーチャカ」と呼んでくれるよう周囲に頼んでいたが、「小僧(先輩)」とも呼ばれていたという〔ちなみに田中は早生まれで太田より1学年上になるが、一浪したため太田とは同級生となった。〕。
* 日芸在籍時には、マキノ雅弘が主催していた私塾にも通っていた〔。
* また、同時期に大学の先輩とお笑いコンビ「東京ギャグポンプ」を組んでTBSの昼の番組のレギュラーを持っていたが、売れずに2か月弱で解散。当時の芸名は「白木屋みのる」(背が小さいことから白木みのると居酒屋の白木屋をもじってつけられた)で、ボケ担当。コンビ名・芸名を考案したのははらみつお。当時の相方は編集者(2006年時点)をしている。
* 1988年3月に、太田と漫才コンビ「爆笑問題」を結成。コンビではリーダーを担当しているが、田中が自ら立候補したのではなく、太田が決めたものである。
* 2000年正月放映の『号外!!爆笑大問題』(日本テレビ系)で、田中が所属事務所が入居しているビルの1階の花屋に勤務する9歳年下の女性の自宅を訪れ、両親にあいさつしたと太田がバラし、メディアが一斉に扱った〔2月2日の放送では、茨城県の結婚式場を見学するロケに行き、当時、番組アシスタントで、ウエディングドレス姿の山口もえとツーショット写真を撮った。この模様は、2015年10月5日放送のスッキリ!!で流された。〕。同年3月24日にその女性と結婚。その後、二世帯住宅を建てた。
* 2000年9月12日睾丸肥大のため都内の病院に入院。10月9日に左側の睾丸摘出手術を受けた。ちなみに摘出した睾丸を病理診断・研究したのは向井千秋の夫である向井万起男慶應義塾大学病理専門医)だったとのこと(太田の後日談より)。
* 2009年10月2日、自らの離婚を発表した。その後、前妻が臨月に入っていることが報じられた〔田中 前妻は離婚前に別男性の子を妊娠 〕〔前妻と田中の間の子供ではないが、離婚成立後300日以内に出産することになるので法律上では田中が父親になる。詳細については離婚後300日問題を参照のこと。〕。
* 2012年11月13日、伝染性単核球症(通称「キス病」)による肝機能障害で体調を崩し緊急入院〔爆笑問題の田中さんが入院 肝機能障害 - 47NEWS(共同通信) 2012/11/14〕。当日深夜の『JUNK爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)〔この日は、事務所の後輩・ウエストランド、翌週は、日本エレキテル連合ツインタワーが代役を務めた。なお、ウエストランドは告知でエンディングの5分程度の出演予定だったが、急遽、丸々2時間出演することになった。〕から出演を取りやめていたが、同月22日に『ストライクTV』(テレビ朝日系)の収録で復帰した〔爆問田中、復帰会見も退院日未定「キス心当たりない」 12月に太田も一緒にのど手術 - ORICON STYLE 2012年11月22日〕。また、同年12月18日に扁桃腺切除の手術をしたが、事前に予定されていた太田の声帯ポリープ除去手術と同じ日の「W手術」となった〔W手術の爆笑問題、23日サンジャポでW復帰 手術の順番は「田中が先、直後に太田」 - ORICON STYLE 2012年12月08日〕。
* 2015年10月4日、タレントの山口もえと再婚。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「田中裕二 (お笑い芸人)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yuji Tanaka 」があります。




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