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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
テネシーガールはアメリカ合衆国で生まれ日本で調教された競走馬。先行してそのまま押し切る展開をおもな戦法とし、中央競馬で1999年ファンタジーステークスと2001年セントウルステークスの2つ重賞タイトルを獲得した。23戦中21戦の騎乗を山田和広が務めた。 馬齢は2000年以前も現表記とする。 == 戦歴 == 2歳時から重賞勝ちを収めたほか、GI・阪神ジュベナイルフィリーズ(当時阪神3歳牝馬ステークス)でも5着となるなど、早くから重賞戦線で活躍。 クラシック出走権のない外国産馬であったことや、持病である蹄の弱さから2000年春はほぼ休養に充てられ、復帰後も残る牝馬一冠である秋華賞には距離適性を考慮され向かわず、短距離路線へと向かう。 牡馬とのオープン競走でも2着に入るなどスプリント戦で結果を残し、2001年の高松宮記念では単勝16番人気という低評価に反発する3着と好走。大外18番枠ながら「マイペースで無理なく行けたのが要因」〔2001年3月26日日刊スポーツ〕と山田はレースを振り返っている。 GIでも好走例がありながら勝ちきれない内容や、函館滞在中に骨膜炎を患った影響〔2001年9月10日日刊スポーツ〕から2001年のセントウルステークスでも6番人気と評価を集めることができず、同馬を管理する調教師の坪正直も「こんなものかな…」と自信をなくしていた〔が「熊(熊沢)の馬(1番人気/カルストンライトオ)が思ったほど来なかった」(山田)〔ことから高松宮記念同様にマイペースで先行し、重賞2勝目を記録している。 その後も現役を続行し、GI競走への出走もあったが4戦すべて二桁着順に終わるなど成績を残すことはできず、2002年の高松宮記念16着を最後に現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テネシーガール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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