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テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故(テネリフェくうこうジャンボきしょうとつじこ)は、1977年3月27日17時6分(現地時間)、スペイン領カナリア諸島のテネリフェ島にあるテネリフェ空港の滑走路上で2機のボーイング747型機同士が衝突し、乗客乗員のうち合わせて583人が死亡した事故の通称である。 生存者は乗客54人と乗員7人であった。死者数においては史上最悪〔2015年8月現在。戦時下の事故や航空テロ事件を含むが、非搭乗者が多数死傷したアメリカ同時多発テロ事件を除く。なお、単独機での死者数は1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故が最多である。〕の航空事故である。 死者数の多さなどから「テネリフェの悲劇、テネリフェの惨事(Tenerife Disaster)」とも呼ばれている。 == テロによる空港閉鎖 == パンアメリカン(パンナム)航空1736便はロサンゼルス国際空港を離陸し、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に寄港した。機体はボーイング747-100、機体記号はN736PA(1969年製造、クリッパー・ヴィクター号と命名されていた)〔Kilroy, Chris ''Special Report: Tenerife'' AirDisaster.com.〕。 一方のKLMオランダ航空4805便はオランダからの保養客を乗せたチャーター機で、事故の4時間前にアムステルダムのスキポール国際空港を離陸した〔。機体はボーイング747-200B、機体記号はPH-BUF(1973年製造、ライン号と命名されていた)。 どちらの便も、最終目的地は大西洋のリゾート地であるグラン・カナリア島のグラン・カナリア空港(ラス・パルマス空港)であった。 最終目的地に近づく途中、パンナム機は、ラス・パルマス空港がカナリア諸島分離独立派組織による爆弾テロ事件と、更に、爆弾が仕掛けられているという予告電話(結局は虚偽だった)のため、臨時閉鎖したと告げられた〔The Tenerife crash - March 27th, 1977 1001 Crash〕。パンナム機は空港閉鎖が長くは続かないという情報を得ており、燃料も十分に残っていたため、着陸許可が出るまで旋回待機したいと申し出たものの、他の旅客機と同様に近くのテネリフェ島のテネリフェ空港(ロス・ロデオス空港)にダイバート(代替着陸)するよう指示された。KLM機も同様の理由でテネリフェへのダイバートを指示された。 テネリフェ空港はテイデ山の麓に位置する、1941年開港の古い地方空港であり、1本の滑走路(ランウェイ)と1本の平行誘導路(タクシーウェイ)および何本かの取付誘導路を持つだけの規模で、地上の航空機を監視する地上管制レーダーはなかった。事故当日、空港はダイバートした旅客機が数多くいた〔The Tenerife Airport Disaster - the worst in aviation history Tenerife Information Centre〕。 KLM機が着陸した時点で、エプロン(駐機場)のみならず、平行誘導路上にまで他の飛行機が駐機している状態だったので、管制官はKLM機に平行誘導路端部の離陸待機場所への駐機を命じた。およそ30分後に着陸したパンナム機もこの離陸待機場所のKLM機後位に他の3機とともに駐機した。平行誘導路が塞がっていたため、離陸する飛行機は滑走路をタクシングして離陸開始位置まで移動する必要があった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tenerife airport disaster 」があります。 スポンサード リンク
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