|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ラン : [らん] 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network) ・ 地 : [ち] 1. (n,n-suf) earth ・ 地下 : [ちか] 【名詞】 1. (1) basement 2. cellar 3. (2) underground (railway) (abbr) 4. subway 5. metro ・ 地下鉄 : [ちかてつ] 【名詞】 1. underground train 2. subway ・ 下 : [した, もと] (adv) under (esp. influence or guidance) ・ 鉄 : [てつ] 【名詞】 1. iron
テヘラン・メトロ(; Metrou-ye Tehrān)はイランの首都テヘランで運用される都市高速旅客輸送網。運行中の5路線および、工事中の2路線からなる。 軌間は標準軌。乗車券は距離に関係なく一回の利用ごとに1200リヤール(10円弱)である。全てのテヘラン地下鉄の列車の先頭車および最後尾は女性専用車両であるが、その他の車両は男女関係なく利用できる。 テヘラン・メトロの1日平均の乗客数は126万人〔、年のべ約4億4700万人であった(2009-10年)。 == 歴史 == イラン最初の地下鉄となるテヘラン・メトロの初期部分は、イラン革命前の1970年代に計画されたものである。1970年、予算計画機構およびテヘラン市庁はテヘラン・メトロ建設についての国際入札の実施を発表。フランスのSOFRETU(フランス都市鉄道研究実用化社。当時の国有パリ交通公団の下部組織)が落札し、同年中に予備調査が開始された。1974年、「街路・メトロ計画」と呼ばれる最終報告書が提出される。「街路・メトロ計画」は中心部における環状高速道路、新たな郊外地域に対する高速道路2路線、そして、8路線のメトロ路線と、これを補完するバスおよびタクシーによる交通網を提言したものである。1976年、地質調査を開始。1978年、テヘラン北部でフランスの企業によって建設が開始されたが、イラン革命とイラン・イラク戦争の勃発でごく短期間のものに終わった。1980年12月、SOFRETUはイランでの事業を凍結。1982年3月3日、イラン閣僚評議会はフランス企業によるテヘラン・メトロ建設・運営の停止を正式に発表した。したがって、建設そのものは1980年から1986年までほぼ完全に停止した状態であった〔。 1985年夏までに、都市化の急速な進展と公共交通の整備不足は深刻な問題となり、テヘランの交通整備計画の早期再開が強く迫られるようになっていた。同年、「テヘラン・メトロ施工計画」が法律上の計画「テヘラン広域メトロ鉄道会社設置法修正事項」に基づき、再認可を受ける。これは明らかに革命前の地下鉄計画をそのまま引き継ぐものであった。計画再開にあたっては * 1号線(シャヒード・アーヤトッラー・ハッガーニー高速道路からレイに至る路線とそのベヘシュテ・ザフラー墓地までの延伸。南北方向線)。優先順位第一。 * 2号線(テヘラン・パールス地区のダルダシュトからサーデギーイェ広場に至る路線とそのキャラジおよびメフルシャフル地区までの延伸。東西方向線)。優先順位第二。 * 計画済みの3号線、4号線も建設する となっていた。 同法に基づき、今後のメトロ建設・管理に備え、テヘラン広域メトロ鉄道会社(以下メトロ社)が1985年4月(イラン暦1364年ファルヴァルディーン月)に設立された。メトロ社は以降アスガル・エブラーヒーミー・アスルが11年にわたって経営した。この間、メトロには数億ドルが投じられ、またメトロ社には政府からバンダル・アッバース(ホルモズガーン州)の鉄鉱石鉱山の採掘権、モガーン(東アーザルバーイジャーン州)の珪藻土鉱山の採掘・販売権、エスファハーンの精油所の余剰物の輸出権、おなじくエスファハーンの鉄鉱石鉱山からの輸出権などの利権が認められた。同社により、テヘラン・メトロの建設が再開されたが、うち続くイラン・イラク戦争により、作業の進行は遅滞し、しばしば中断することになる。1998年、アスガル・エブラーヒーミー・アスルが退任し、モフセン・ハーシェミーが引き継いだ。モフセン・ハーシェミーはハーシェミー・ラフサンジャーニー元大統領の息子である。 1999年3月7日、テヘラン・メトロの最初の路線となる5号線(サーデギーイェ - キャラジ間)が開業した。テヘランのサーデギーイェ広場からキャラジまでの31.4km。陸上を走る電化路線で、途中駅ヴァルダーヴァルドのみという形での部分開業であった。この路線は中国の中国北方工業公司により建設された。 2000年2月21日、初の地下鉄路線となる東西方向の2号線の西半(サーデギーイェ - エマームホメイニー間)が開業。テヘラン都心部のエマーム・ホメイニー広場と西郊のサーデギーイェ広場(5号線との接続点)を結ぶものであった。同年8月28日、南北方向の1号線の南側(ダルヴァーゼ・ドウラト - アリーアーバード間)が開業。テヘラン都心部と南部を結ぶ部分の開業であった。 以降、1号線、2号線は連年延伸が続けられている。2008年4月には、テヘランの中心部を東西に走るエンゲラーブ大通りの地下を経由する4号線の都心部が開業した。 テヘラン・メトロの各種設備は広範な国際企業により製造されたもので、1号線、2号線の車輌はCNTIC(中国技術進出口総公司)によるもので、線路とポイントはオーストリアのフェストアルピーネによるものである。また5号線の2階建車輌はCNTICに供給されアラークのパールス車輌が組み立てている。 現在までに約20億ドルがメトロ計画に投入された。テヘラン・メトロは現在、運行中の4路線(1, 2, 3, 4, 5号線)で400万人の乗客を輸送している。うち1号線、3号線、4号線はメトロ社により延伸中であり、6号線と7号線は建設中である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テヘラン・メトロ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tehran Metro 」があります。 スポンサード リンク
|