|
テモテ(希:Τιμόθεος、ラテン文字転記:Timotheos)は新約聖書の『使徒行伝』に登場するリュストラ(現代のトルコ南部)出身の初期キリスト教徒でパウロの協力者、弟子。ギリシア語ではティモテオス。東方諸教会、正教会、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会で聖人。伝承では殉教者(致命者)とされる。正教会での記憶日は1月22日(ユリウス暦使用教会では2月4日に相当)。正教会では、使徒の称をもって呼ばれる七十門徒の一人に数えられることから「聖使徒ティモフェイ」と呼称される〔日本ハリストス正教会『正教会暦』2008年版〕。 『使徒行伝』によれば、テモテの父はギリシア人で母はユダヤ人であった。パウロはテモテを気に入り、自らの宣教旅行に連れて行きたかったので、ユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた〔使徒16:1-4〕。これは西暦50年前後のことであると推察される。テモテはパウロの第二回宣教旅行、第三回宣教旅行に同行し、パウロのよき協力者となった。テモテはパウロに同行するほか、マケドニアなど、パウロがすでに宣教活動を行った場所に派遣されて、指導に当たっている〔1テサロニケ3:2、使徒19:22等〕。 この宣教旅行の間に書かれたと想定される『コリントの信徒への手紙二』からも、テモテがパウロのよき協力者であったことがわかる。ここではパウロはテモテをコリントスの教会に派遣し、その指導に当たらせようとしている〔1コリ4:17-18〕。また『フィリピ人への手紙』などでは、テモテはパウロと並んで書簡の差出人とされている〔フィリピ1:1〕。 のちの伝承によれば、65年パウロはテモテを按手し、エフェソスの主教(司教)とした。テモテは15年間主教としてエフェソスの教会を指導した(ただし別の伝承ではテモテは90年または93年に死んだとされている)。エフェソスの多神教徒が、テモテに自分たちの神を礼拝させようと強制したが、テモテは従わず多神教徒に福音を説いた。激怒した多神教徒はテモテを街路にひきずりだし、石を投げて殺した、と伝える。 新約聖書にある『テモテへの手紙一』および『テモテへの手紙二』はパウロがこのテモテにあてる形で書かれている書簡であるが、現代の自由主義神学、高等批評の研究では、パウロの死後、他の著者によって書かれたものであると考えられている。 聖書信仰に立つ福音派では、聖書の自己証言により、パウロによってテモテへの手紙が書かれたと認められている〔『新聖書辞典』いのちのことば社〕〔尾山令仁著『聖書の概説』羊群社〕。 ==脚注== 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テモテ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|