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国防義勇軍(こくぼうぎゆうぐん。Territorial Army、TA)とは、イギリス陸軍の予備役組織のひとつである。常備軍の予備役が現役期間終了後の元兵士から構成されているのと異なり、非常勤の志願兵から構成されている。日本においては、予備自衛官等(即応予備自衛官、狭義の予備自衛官、公募予備自衛官、予備自衛官補)のうち、公募された予備自衛官補および彼らが教育・訓練を経て予備自衛官に任官される公募予備自衛官がそれに近い。国家総力戦時には国王大権に基づき常備軍部隊に編入される。その歴史的起源は、コモン・ローに基づいて認められていた民兵と、と呼ばれる義勇兵に由来する。現在はイギリス陸軍の総兵力の約1/4を占めている。テリトリアル陸軍。 ==歴史== ===起源=== イギリスでは、コモン・ローによって市民がミリシア(民兵)を組織することが認められていた。七年戦争中の1757年には本土防衛の必要から「1757年民兵法(The Militia Act 1757)」が制定され、35,000人の民兵が動員態勢に入って、常備軍に代わって本土防衛を行った。現在の国防義勇軍工兵の起源はこのときであるとされる〔Royal Engineers Museum (2009年6月26日閲覧)〕。ナポレオン戦争中にも「1804年義勇兵法(Volunteer Act 1804)」の制定で義勇兵団が組織され、同様の防衛体制がとられた。 また、ヨーマンと呼ばれる富農層は、ヨーマンリーと称される義勇騎兵部隊を組織して国家の軍事活動に協力していた。これらは七年戦争やナポレオン戦争時に本土の警備を担当するなどした。1797年2月に現在のところ歴史上最後のイギリス本土への外国軍上陸が発生した際(英語版)には、キャッスルマーチン・ヨーマンリー騎兵団が、上陸したフランス軍を撃退した〔Brtish Army Website - History (2009年6月26日閲覧)〕。民兵とヨーマンリーは、近代国家が形成されても一定の存在を維持し、内務省の管轄下にあった。 1854年にクリミア戦争が勃発すると、イギリス陸軍は常備軍の深刻な兵力不足に見舞われた。常備軍はイギリス帝国各地の植民地に部隊を駐留させなければならず、兵力が分散してしまっていたためである。常備軍の不足を補うために民兵やヨーマンリーを動員することになったが、内務省管轄下であることから様々な混乱が生じてしまった。その後もフランスとの対立やイタリア統一戦争などから軍事的緊張が高まって、有力な予備軍組織の必要が増したため、1859年に陸軍省管轄下の義勇軍(Volunteer Force)が創設されることになった。この義勇軍は以前の1804年義勇兵法を根拠にしたもので、県知事の認可により部隊が設立され、平時には市民生活のかたわら一定の訓練を行い、有事には自弁で武装して動員されて常備軍同様の給与と軍法の適用を受けるものとされた。当初は小規模な部隊が乱立したが、次第に効率的な大隊規模に統一され、1862年には歩兵220個大隊など兵力16万人を数えた。実戦出動の経験もあり、1899年に起きた第二次ボーア戦争がその最後の事例となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国防義勇軍」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Army Reserve (United Kingdom) 」があります。 スポンサード リンク
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