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テリー・カー(Terry Gene Carr、1937年2月19日 - 1987年4月7日)〔 p.1〕は、アメリカ合衆国のSF作家、アンソロジスト、編集者。 == 経歴 == オレゴン州グランツ・パス(Grants Pass)生まれ。1954年、サンフランシスコのシティ・カレッジに入学。1957年、カリフォルニア大学バークレー校に移り、1959年卒業。 1949年、SFファンダムの存在を知り、熱心なファンジン出版者となった。そのことが後に商業出版の編集者となる素地を作った。カーともう1人のSFファンは架空のSFファン「カール・ブランドン」を作り上げ、それが広く知られるようになり、カール・ブランドン協会 (Carl Brandon Society) はそれに因んで名付けられた。SFのプロとして経歴を積み上げる一方で、カーはSFファンとしての活動も死ぬまで継続し、ヒューゴー賞ベスト・ファンジン部門には5回ノミネートされ(1959-1961年と1967-1968年)、1959年にロン・エリックと共同編集した雑誌『FANAC』で受賞し、ベスト・ファンライター部門にも3回ノミネートされ(1971-1973年)、1973年に受賞した。また、1986年のワールドコンにはファン・ゲストとして招待された。 1961年、ニューヨークに転居し、作家活動を開始した。作家としてのデビュー作は「Who Sups with Devil?」(『F&SF』誌1962年5月号)だが、徐々に編集の仕事に重点を置くようになる。1962年から1964年までスコット・メレディス社に勤務し、1964年からエース・ブックス社に編集者として勤務。そこで ''Ace Science Fiction Specials'' というシリーズを立ち上げる。これには例えばアーシュラ・K・ル=グウィンの『闇の左手』やアレクセイ・パンシンの『成長の儀式』といった有名作品も含まれていた。 エース・ブックスを率いていたドナルド・A・ウォルハイムと意見の食い違いから対立するようになり、フリーランスの編集者となった。''Universe'' というオリジナル・アンソロジーと年間ベストSF作品を集めた ''The Best Science Fiction of the Year'' というアンソロジーを1972年から亡くなった1987年まで毎年刊行した。また、その間に他のアンソロジーも多数手がけた。ヒューゴー賞の編集者部門には13回ノミネートされ(1973-1975年、1977-1979年、1981年-1987年)、2回受賞している(1985年、1987年)。1985年に受賞した当時は、フリーランスの編集者として初の受賞だった。 1978年には、ミシガン州立大学でクラリオン・ワークショップの講師を務めた。このときの受講者にはパット・マーフィーやリチャード・キャドリーがいた。 彼のファンジンのコレクションは、カリフォルニア大学リバーサイド校の Eaton collection of Science Fiction の一部となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テリー・カー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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