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テリー・ブロス(Terrence Paul "Terry" Bross、1966年3月30日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == セント・ジョーンズ大学時代は野球とバスケットボールで活躍。 のMLBドラフト13巡目でニューヨーク・メッツに入団。にメジャーデビューし、同年は8試合に登板。 その後、にサンフランシスコ・ジャイアンツで2試合登板。メジャー通算成績は10試合で計12イニングを投げ、0勝0敗0セーブ、防御率3.00。 に来日してヤクルトスワローズに入団。入団時に年俸4000万円と聞いて「そんなにもらえるのか」と驚いたというほど、当時にしては珍しいハングリー精神の持ち主であった。 来日1年目は、長身から投げ下ろす速球と親指と人差し指ではさむ独特のフォークボールを武器に14勝を挙げ、4試合連続2ケタ奪三振も記録し、最優秀防御率のタイトルを獲得するなど、前評判の悪かったヤクルトを日本一に導く原動力となる。同年9月9日、巨人戦でノーヒットノーランを達成し(大森剛への死球で完全試合は逃した)、これによって巨人の自力優勝が消滅した。9月30日、本拠地・神宮球場での巨人戦で完封勝利し胴上げ投手となった。このように、この年の巨人戦にはめっぽう強く、5勝0敗防御率0.23(39回1/3で失点は後藤孝志のプロ初本塁打(ソロ)のみ)とカモにした。 2年目以降は、上から投げ下ろす投球フォームゆえにモーションを盗まれることが多く、打球処理が苦手という弱点を突かれるようになり、故障の影響も響き成績は低迷した。ヤクルト時代、ベンチから敬遠の指示を受けたが「(暴投などをせずに指示通り敬遠をする)自信がない」と敬遠を拒否したことがある。 に西武ライオンズに移籍するが活躍することは出来ず、翌は一軍登板のないまま退団した。 現在は、アリゾナ州にあるスポーツ・マネジメント会社 Gaylord Sports Management で代理人として活動している。主なクライアントはブライアン・アンダーソン、ブロンソン・アローヨ、ビル・ホール、D・J・カラスコ、ダーネル・マクドナルド、ルイス・ゴンザレスなど。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テリー・ブロス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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