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テレタイプライタ : ミニ英和和英辞書
テレタイプライタ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


テレタイプライタ ( リダイレクト:テレタイプ端末(テレタイプたんまつ、)は印刷電信機、テレプリンタ()、TTYともいい、今日ではほとんど使われなくなった電動機械式タイプライタで、簡単な有線・無線通信回線を通じて2地点間の印字電文による電信(電気通信)に用いられてきた。メインフレームやミニコンピュータのユーザインタフェース用端末としても使われた。いわゆるパソコン通信も、TTYによる通信方法を応用したものである。紙テープにキーボードからの入力や受信したメッセージを記録できる機種もあり、紙テープに記録したメッセージを印刷したり再送したりといったことが可能である。また、紙テープはコンピュータの入出力に使われるものと互換性があった。様々な通信媒体で使用可能であり、単純な2本の導線から専用線、交換網、無線やマイクロ波のリンクなどがある。モデムを介すれば電話交換網を経由して通信でき、遠隔のコンピュータ、特にタイムシェアリングシステムとの接続によく使われた。今では出力としてプリンターではなくモニターを採用した完全電子式の端末にほとんど取って代わられた(UNIXシステムなどでは今も「TTY」という用語が使われている)。それでも航空業界では今も広く使われており(など)、またろう者が電話回線経由で通信するための装置「聴覚障害者用文字電話」(Telecommunications Devices for the Deaf、TDD)としても使われている。== 歴史 ==テレタイプはロイヤル・E・ハウス、デイビッド・エドワード・ヒューズ、チャールズ・クラム、エミール・ボドーなど多数の技術者の一連の発明によって進化した。1846年、ワシントンD.C.とニューヨーク間でモールス式電信システムが開通した。ロイヤル・E・ハウスは同年、電信印刷機の特許を取得している。28キーのピアノ状のキーボード2台を相互接続したもので、各キーがアルファベットに対応していて、一方のキーボードのキーを押下すると相手側でその文字が印字される仕組みになっていた。「シフト」キーがあるので、各キーは2種類の値を発生できる。そのため合計56種類の活字で構成されるタイプホイールが双方にあり、同期して回転する仕組みになっている。送信側でキーを押下すると、受信側のタイプホイールが回転して対応する活字が印字される位置に移動する。したがってこれは同期式データ転送システムの一種である。ハウスの装置は1分間に約40語を伝送できたが、大量生産は難しかった。印字機構は1時間に2,000語まで印字可能だった。この発明は1844年、ニューヨークの Mechanics Institute で完成し展示された。テレタイプの運用は1849年、フィラデルフィアとニューヨーク間で始まった''RTTY Journal'' Vol. 25 No. 9, October 1977: 2.。1855年、デイビッド・エドワード・ヒューズがロイヤル・E・ハウスの作ったマシンを改良した。それから2年以内にいくつかの電信会社が合併してウエスタンユニオンが結成され、ヒューズのシステムを商用電報に適用しはじめた。1874年、エミール・ボドーが5単位(5ビット)符号体系を使ったシステムを設計。このシステムは1877年にフランスで採用された。1897年、パリとロンドン間の単方向通信システムにボドーのシステムが採用され、その後イギリス国内の電信サービスでも双方向のボドーシステムが採用された。1901年、ドナルド・ミュレーがタイプライター状のキーボードの開発過程でボドーの符号体系に改良を加えた。ミュレーのシステムはキーボードからの入力をいったん紙テープに鑽孔可能で、紙テープからメッセージを送信できる装置も備えていた。受信側では、メッセージを紙テープに印字することもできるし、鑽孔することもできる。このようにすることでオペレータの手の動きと転送されるビット列は直接の関係がなくなったため、オペレータの疲労を最小化する必要がなくなり、むしろよく使われる文字のコードが紙テープ上で穴が少なくなるように修正を加えた。ミュレーはまた「制御文字」と呼ばれるコードとしてキャリッジ・リターン (CR) や改行コード (LF) を符号体系に加えた。NULL、BLANK、DELといったコードはボドーの符号体系から移動させられ、その値が長らく使われることになった。NULLやBLANKは送信中に何も送信していない状態を表すのに使われた。1902年、電気技師 Frank Pearne は電信印刷機の実用化の研究スポンサーを求め、Morton Salt の Joy Morton に接触した。Joy Morton はそれが出資に値するか否かを判断するため、Western Cold Storage Company の副社長で技師のに意見を求めた。クラムはPearneの研究に関心を寄せ、Western Cold Storage の研究室にそのためのスペースを設けた。Frank Pearne は1年ほどでプロジェクトに興味を失い、教職に就いた。クラムは研究を続け、1903年8月に ‘typebar page printer’ と題した特許を取得。1904年には ‘type wheel printing telegraph machine’ と題した特許を出願し、1907年8月に発効した。1906年には息子のハワード・クラムも父の研究に参加している。符号電信システムの通信開始・終了時の同期方法を考案し特許をとったのはハワードであり、それによってテレタイプ端末の実用化が可能となった。1908年、(Joy Morton と Charles Krum の名を組み合わせた)モルクラム社がテレタイプ端末 Morkrum Printing Telegraph を開発し、Alton Railroad と共同で実地試験を行った。1910年、モルクラム社の初の商用テレタイプ端末がボストン-ニューヨーク間の電信線で導入された。1916年、がタイプバー式ページプリンターについての特許を出願。1919年、モルクラム社が先述の開始・終了時の同期技法についての特許を取得すると、間もなくクラインシュミットが "Method of and Apparatus for Operating Printing Telegraphs" と題した特許を出願。この特許にはモルクラム社の開始・終了技法の改良版が含まれていた。開始・終了技法について特許紛争で時間と金を無駄にする代わりに、クラインシュミットとモルクラムは合併することを選び、1924年にモルクラム・クラインシュミットとなった。この新会社は両社の機種の長所を生かした新機種を開発した。1924年、Frederick G. Creed が創業した Creed & Company がテレタイプ端末市場に参入。1925年、Creed は Baudot Code を合理化したミュレーの符号体系についての特許を獲得し、1927年の新機種にそれを採用した。この機種は受信したメッセージをゴムを塗布した紙テープに毎分65語の速度で印字でき、Creedとしては初の送受信機能を一体化した大量生産機だった。 ) : ウィキペディア日本語版
テレタイプ端末(テレタイプたんまつ、)は印刷電信機、テレプリンタ()、TTYともいい、今日ではほとんど使われなくなった電動機械式タイプライタで、簡単な有線・無線通信回線を通じて2地点間の印字電文による電信(電気通信)に用いられてきた。メインフレームやミニコンピュータのユーザインタフェース用端末としても使われた。いわゆるパソコン通信も、TTYによる通信方法を応用したものである。紙テープにキーボードからの入力や受信したメッセージを記録できる機種もあり、紙テープに記録したメッセージを印刷したり再送したりといったことが可能である。また、紙テープはコンピュータの入出力に使われるものと互換性があった。様々な通信媒体で使用可能であり、単純な2本の導線から専用線、交換網、無線やマイクロ波のリンクなどがある。モデムを介すれば電話交換網を経由して通信でき、遠隔のコンピュータ、特にタイムシェアリングシステムとの接続によく使われた。今では出力としてプリンターではなくモニターを採用した完全電子式の端末にほとんど取って代わられた(UNIXシステムなどでは今も「TTY」という用語が使われている)。それでも航空業界では今も広く使われており(など)、またろう者が電話回線経由で通信するための装置「聴覚障害者用文字電話」(Telecommunications Devices for the Deaf、TDD)としても使われている。== 歴史 ==テレタイプはロイヤル・E・ハウス、デイビッド・エドワード・ヒューズ、チャールズ・クラム、エミール・ボドーなど多数の技術者の一連の発明によって進化した。1846年、ワシントンD.C.とニューヨーク間でモールス式電信システムが開通した。ロイヤル・E・ハウスは同年、電信印刷機の特許を取得している。28キーのピアノ状のキーボード2台を相互接続したもので、各キーがアルファベットに対応していて、一方のキーボードのキーを押下すると相手側でその文字が印字される仕組みになっていた。「シフト」キーがあるので、各キーは2種類の値を発生できる。そのため合計56種類の活字で構成されるタイプホイールが双方にあり、同期して回転する仕組みになっている。送信側でキーを押下すると、受信側のタイプホイールが回転して対応する活字が印字される位置に移動する。したがってこれは同期式データ転送システムの一種である。ハウスの装置は1分間に約40語を伝送できたが、大量生産は難しかった。印字機構は1時間に2,000語まで印字可能だった。この発明は1844年、ニューヨークの Mechanics Institute で完成し展示された。テレタイプの運用は1849年、フィラデルフィアとニューヨーク間で始まった''RTTY Journal'' Vol. 25 No. 9, October 1977: 2.。1855年、デイビッド・エドワード・ヒューズがロイヤル・E・ハウスの作ったマシンを改良した。それから2年以内にいくつかの電信会社が合併してウエスタンユニオンが結成され、ヒューズのシステムを商用電報に適用しはじめた。1874年、エミール・ボドーが5単位(5ビット)符号体系を使ったシステムを設計。このシステムは1877年にフランスで採用された。1897年、パリとロンドン間の単方向通信システムにボドーのシステムが採用され、その後イギリス国内の電信サービスでも双方向のボドーシステムが採用された。1901年、ドナルド・ミュレーがタイプライター状のキーボードの開発過程でボドーの符号体系に改良を加えた。ミュレーのシステムはキーボードからの入力をいったん紙テープに鑽孔可能で、紙テープからメッセージを送信できる装置も備えていた。受信側では、メッセージを紙テープに印字することもできるし、鑽孔することもできる。このようにすることでオペレータの手の動きと転送されるビット列は直接の関係がなくなったため、オペレータの疲労を最小化する必要がなくなり、むしろよく使われる文字のコードが紙テープ上で穴が少なくなるように修正を加えた。ミュレーはまた「制御文字」と呼ばれるコードとしてキャリッジ・リターン (CR) や改行コード (LF) を符号体系に加えた。NULL、BLANK、DELといったコードはボドーの符号体系から移動させられ、その値が長らく使われることになった。NULLやBLANKは送信中に何も送信していない状態を表すのに使われた。1902年、電気技師 Frank Pearne は電信印刷機の実用化の研究スポンサーを求め、Morton Salt の Joy Morton に接触した。Joy Morton はそれが出資に値するか否かを判断するため、Western Cold Storage Company の副社長で技師のに意見を求めた。クラムはPearneの研究に関心を寄せ、Western Cold Storage の研究室にそのためのスペースを設けた。Frank Pearne は1年ほどでプロジェクトに興味を失い、教職に就いた。クラムは研究を続け、1903年8月に ‘typebar page printer’ と題した特許を取得。1904年には ‘type wheel printing telegraph machine’ と題した特許を出願し、1907年8月に発効した。1906年には息子のハワード・クラムも父の研究に参加している。符号電信システムの通信開始・終了時の同期方法を考案し特許をとったのはハワードであり、それによってテレタイプ端末の実用化が可能となった。1908年、(Joy Morton と Charles Krum の名を組み合わせた)モルクラム社がテレタイプ端末 Morkrum Printing Telegraph を開発し、Alton Railroad と共同で実地試験を行った。1910年、モルクラム社の初の商用テレタイプ端末がボストン-ニューヨーク間の電信線で導入された。1916年、がタイプバー式ページプリンターについての特許を出願。1919年、モルクラム社が先述の開始・終了時の同期技法についての特許を取得すると、間もなくクラインシュミットが "Method of and Apparatus for Operating Printing Telegraphs" と題した特許を出願。この特許にはモルクラム社の開始・終了技法の改良版が含まれていた。開始・終了技法について特許紛争で時間と金を無駄にする代わりに、クラインシュミットとモルクラムは合併することを選び、1924年にモルクラム・クラインシュミットとなった。この新会社は両社の機種の長所を生かした新機種を開発した。1924年、Frederick G. Creed が創業した Creed & Company がテレタイプ端末市場に参入。1925年、Creed は Baudot Code を合理化したミュレーの符号体系についての特許を獲得し、1927年の新機種にそれを採用した。この機種は受信したメッセージをゴムを塗布した紙テープに毎分65語の速度で印字でき、Creedとしては初の送受信機能を一体化した大量生産機だった。

テレタイプ端末(テレタイプたんまつ、)は印刷電信機テレプリンタ()、TTYともいい、今日ではほとんど使われなくなった電動機械式タイプライタで、簡単な有線無線通信回線を通じて2地点間の印字電文による電信電気通信)に用いられてきた。
メインフレームミニコンピュータユーザインタフェース用端末としても使われた。いわゆるパソコン通信も、TTYによる通信方法を応用したものである。紙テープにキーボードからの入力や受信したメッセージを記録できる機種もあり、紙テープに記録したメッセージを印刷したり再送したりといったことが可能である。また、紙テープはコンピュータの入出力に使われるものと互換性があった。
様々な通信媒体で使用可能であり、単純な2本の導線から専用線、交換網、無線やマイクロ波のリンクなどがある。モデムを介すれば電話交換網を経由して通信でき、遠隔のコンピュータ、特にタイムシェアリングシステムとの接続によく使われた。
今では出力としてプリンターではなくモニターを採用した完全電子式の端末にほとんど取って代わられた(UNIXシステムなどでは今も「TTY」という用語が使われている)。それでも航空業界では今も広く使われており(など)、またろう者が電話回線経由で通信するための装置「聴覚障害者用文字電話」(Telecommunications Devices for the Deaf、TDD)としても使われている。
== 歴史 ==
テレタイプはロイヤル・E・ハウスデイビッド・エドワード・ヒューズチャールズ・クラムエミール・ボドーなど多数の技術者の一連の発明によって進化した。
1846年、ワシントンD.C.とニューヨーク間でモールス式電信システムが開通した。ロイヤル・E・ハウスは同年、電信印刷機の特許を取得している。28キーのピアノ状のキーボード2台を相互接続したもので、各キーがアルファベットに対応していて、一方のキーボードのキーを押下すると相手側でその文字が印字される仕組みになっていた。「シフト」キーがあるので、各キーは2種類の値を発生できる。そのため合計56種類の活字で構成されるタイプホイールが双方にあり、同期して回転する仕組みになっている。送信側でキーを押下すると、受信側のタイプホイールが回転して対応する活字が印字される位置に移動する。したがってこれは同期式データ転送システムの一種である。ハウスの装置は1分間に約40語を伝送できたが、大量生産は難しかった。印字機構は1時間に2,000語まで印字可能だった。この発明は1844年、ニューヨークの Mechanics Institute で完成し展示された。
テレタイプの運用は1849年、フィラデルフィアとニューヨーク間で始まった〔''RTTY Journal'' Vol. 25 No. 9, October 1977: 2.〕。
1855年、デイビッド・エドワード・ヒューズがロイヤル・E・ハウスの作ったマシンを改良した。それから2年以内にいくつかの電信会社が合併してウエスタンユニオンが結成され、ヒューズのシステムを商用電報に適用しはじめた。
1874年、エミール・ボドーが5単位(5ビット)符号体系を使ったシステムを設計。このシステムは1877年にフランスで採用された。1897年、パリとロンドン間の単方向通信システムにボドーのシステムが採用され、その後イギリス国内の電信サービスでも双方向のボドーシステムが採用された。
1901年、ドナルド・ミュレーがタイプライター状のキーボードの開発過程でボドーの符号体系に改良を加えた。ミュレーのシステムはキーボードからの入力をいったん紙テープに鑽孔可能で、紙テープからメッセージを送信できる装置も備えていた。受信側では、メッセージを紙テープに印字することもできるし、鑽孔することもできる。このようにすることでオペレータの手の動きと転送されるビット列は直接の関係がなくなったため、オペレータの疲労を最小化する必要がなくなり、むしろよく使われる文字のコードが紙テープ上で穴が少なくなるように修正を加えた。ミュレーはまた「制御文字」と呼ばれるコードとしてキャリッジ・リターン (CR) や改行コード (LF) を符号体系に加えた。NULL、BLANK、DELといったコードはボドーの符号体系から移動させられ、その値が長らく使われることになった。NULLやBLANKは送信中に何も送信していない状態を表すのに使われた。
1902年、電気技師 Frank Pearne は電信印刷機の実用化の研究スポンサーを求め、Morton SaltJoy Morton に接触した。Joy Morton はそれが出資に値するか否かを判断するため、Western Cold Storage Company の副社長で技師のに意見を求めた。クラムはPearneの研究に関心を寄せ、Western Cold Storage の研究室にそのためのスペースを設けた。Frank Pearne は1年ほどでプロジェクトに興味を失い、教職に就いた。クラムは研究を続け、1903年8月に ‘typebar page printer’ と題した特許を取得。1904年には ‘type wheel printing telegraph machine’ と題した特許を出願し、1907年8月に発効した。1906年には息子のハワード・クラムも父の研究に参加している。符号電信システムの通信開始・終了時の同期方法を考案し特許をとったのはハワードであり、それによってテレタイプ端末の実用化が可能となった。
1908年、(Joy Morton と Charles Krum の名を組み合わせた)モルクラム社がテレタイプ端末 Morkrum Printing Telegraph を開発し、Alton Railroad と共同で実地試験を行った。1910年、モルクラム社の初の商用テレタイプ端末がボストン-ニューヨーク間の電信線で導入された。
1916年、がタイプバー式ページプリンターについての特許を出願。1919年、モルクラム社が先述の開始・終了時の同期技法についての特許を取得すると、間もなくクラインシュミットが "Method of and Apparatus for Operating Printing Telegraphs" と題した特許を出願。この特許にはモルクラム社の開始・終了技法の改良版が含まれていた。
開始・終了技法について特許紛争で時間と金を無駄にする代わりに、クラインシュミットとモルクラムは合併することを選び、1924年にモルクラム・クラインシュミットとなった。この新会社は両社の機種の長所を生かした新機種を開発した〔。
1924年、Frederick G. Creed が創業した Creed & Company がテレタイプ端末市場に参入。1925年、Creed は Baudot Code を合理化したミュレーの符号体系についての特許を獲得し、1927年の新機種にそれを採用した。この機種は受信したメッセージをゴムを塗布した紙テープに毎分65語の速度で印字でき、Creedとしては初の送受信機能を一体化した大量生産機だった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「テレタイプ端末(テレタイプたんまつ、)は印刷電信機、テレプリンタ()、TTYともいい、今日ではほとんど使われなくなった電動機械式タイプライタで、簡単な有線・無線通信回線を通じて2地点間の印字電文による電信(電気通信)に用いられてきた。メインフレームやミニコンピュータのユーザインタフェース用端末としても使われた。いわゆるパソコン通信も、TTYによる通信方法を応用したものである。紙テープにキーボードからの入力や受信したメッセージを記録できる機種もあり、紙テープに記録したメッセージを印刷したり再送したりといったことが可能である。また、紙テープはコンピュータの入出力に使われるものと互換性があった。様々な通信媒体で使用可能であり、単純な2本の導線から専用線、交換網、無線やマイクロ波のリンクなどがある。モデムを介すれば電話交換網を経由して通信でき、遠隔のコンピュータ、特にタイムシェアリングシステムとの接続によく使われた。今では出力としてプリンターではなくモニターを採用した完全電子式の端末にほとんど取って代わられた(UNIXシステムなどでは今も「TTY」という用語が使われている)。それでも航空業界では今も広く使われており(など)、またろう者が電話回線経由で通信するための装置「聴覚障害者用文字電話」(Telecommunications Devices for the Deaf、TDD)としても使われている。== 歴史 ==テレタイプはロイヤル・E・ハウス、デイビッド・エドワード・ヒューズ、チャールズ・クラム、エミール・ボドーなど多数の技術者の一連の発明によって進化した。1846年、ワシントンD.C.とニューヨーク間でモールス式電信システムが開通した。ロイヤル・E・ハウスは同年、電信印刷機の特許を取得している。28キーのピアノ状のキーボード2台を相互接続したもので、各キーがアルファベットに対応していて、一方のキーボードのキーを押下すると相手側でその文字が印字される仕組みになっていた。「シフト」キーがあるので、各キーは2種類の値を発生できる。そのため合計56種類の活字で構成されるタイプホイールが双方にあり、同期して回転する仕組みになっている。送信側でキーを押下すると、受信側のタイプホイールが回転して対応する活字が印字される位置に移動する。したがってこれは同期式データ転送システムの一種である。ハウスの装置は1分間に約40語を伝送できたが、大量生産は難しかった。印字機構は1時間に2,000語まで印字可能だった。この発明は1844年、ニューヨークの Mechanics Institute で完成し展示された。テレタイプの運用は1849年、フィラデルフィアとニューヨーク間で始まった''RTTY Journal'' Vol. 25 No. 9, October 1977: 2.。1855年、デイビッド・エドワード・ヒューズがロイヤル・E・ハウスの作ったマシンを改良した。それから2年以内にいくつかの電信会社が合併してウエスタンユニオンが結成され、ヒューズのシステムを商用電報に適用しはじめた。1874年、エミール・ボドーが5単位(5ビット)符号体系を使ったシステムを設計。このシステムは1877年にフランスで採用された。1897年、パリとロンドン間の単方向通信システムにボドーのシステムが採用され、その後イギリス国内の電信サービスでも双方向のボドーシステムが採用された。1901年、ドナルド・ミュレーがタイプライター状のキーボードの開発過程でボドーの符号体系に改良を加えた。ミュレーのシステムはキーボードからの入力をいったん紙テープに鑽孔可能で、紙テープからメッセージを送信できる装置も備えていた。受信側では、メッセージを紙テープに印字することもできるし、鑽孔することもできる。このようにすることでオペレータの手の動きと転送されるビット列は直接の関係がなくなったため、オペレータの疲労を最小化する必要がなくなり、むしろよく使われる文字のコードが紙テープ上で穴が少なくなるように修正を加えた。ミュレーはまた「制御文字」と呼ばれるコードとしてキャリッジ・リターン (CR) や改行コード (LF) を符号体系に加えた。NULL、BLANK、DELといったコードはボドーの符号体系から移動させられ、その値が長らく使われることになった。NULLやBLANKは送信中に何も送信していない状態を表すのに使われた。1902年、電気技師 Frank Pearne は電信印刷機の実用化の研究スポンサーを求め、Morton Salt の Joy Morton に接触した。Joy Morton はそれが出資に値するか否かを判断するため、Western Cold Storage Company の副社長で技師のに意見を求めた。クラムはPearneの研究に関心を寄せ、Western Cold Storage の研究室にそのためのスペースを設けた。Frank Pearne は1年ほどでプロジェクトに興味を失い、教職に就いた。クラムは研究を続け、1903年8月に ‘typebar page printer’ と題した特許を取得。1904年には ‘type wheel printing telegraph machine’ と題した特許を出願し、1907年8月に発効した。1906年には息子のハワード・クラムも父の研究に参加している。符号電信システムの通信開始・終了時の同期方法を考案し特許をとったのはハワードであり、それによってテレタイプ端末の実用化が可能となった。1908年、(Joy Morton と Charles Krum の名を組み合わせた)モルクラム社がテレタイプ端末 Morkrum Printing Telegraph を開発し、Alton Railroad と共同で実地試験を行った。1910年、モルクラム社の初の商用テレタイプ端末がボストン-ニューヨーク間の電信線で導入された。1916年、がタイプバー式ページプリンターについての特許を出願。1919年、モルクラム社が先述の開始・終了時の同期技法についての特許を取得すると、間もなくクラインシュミットが "Method of and Apparatus for Operating Printing Telegraphs" と題した特許を出願。この特許にはモルクラム社の開始・終了技法の改良版が含まれていた。開始・終了技法について特許紛争で時間と金を無駄にする代わりに、クラインシュミットとモルクラムは合併することを選び、1924年にモルクラム・クラインシュミットとなった。この新会社は両社の機種の長所を生かした新機種を開発した。1924年、Frederick G. Creed が創業した Creed & Company がテレタイプ端末市場に参入。1925年、Creed は Baudot Code を合理化したミュレーの符号体系についての特許を獲得し、1927年の新機種にそれを採用した。この機種は受信したメッセージをゴムを塗布した紙テープに毎分65語の速度で印字でき、Creedとしては初の送受信機能を一体化した大量生産機だった。」の詳細全文を読む




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