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『テレビのツボ』は、1992年10月5日から1995年9月29日まで毎日放送で放送された情報バラエティ番組。全715回〔『テレビのツボ』最終回のオープニングトークより。〕。毎週月曜から金曜の週5日間、大阪うめだ花月シアター(後のうめだ花月)からの生放送。 この項目では、1995年10月6日から1996年3月22日まで同局で放送された後継番組『週刊テレビのツボ』(しゅうかんテレビのツボ)についても触れる。 == 概要 == 近畿地方で放送される全てのテレビ番組の中から面白視聴ポイント(ツボ)を探し出し、それらを面白おかしく紹介していた関西ローカルの深夜番組である。それを通じて、改めて視聴者にテレビ視聴の面白さに気付いてもらおうというのが基本コンセプトとして存在していた。視聴者からは「テレツボ」という愛称で呼ばれて親しまれていた。 この番組は、毎日放送の自社製作番組やTBSからのネット受け番組のみならず、他系列局が放送する番組も題材に取り上げていた。そのため、いつしか各放送局間の橋渡しに一役買う存在となっていた。実際、他局の番組制作関係者や広報担当者たちもたびたびこの番組にゲスト出演していた。しかし、他局の番組をネタにするにあたって該当番組の録画VTRを使用すると映像の著作権等の問題が発生してくるため、これに関してはその状況を描いたフリップを使いながら出演者に説明させるという、低予算番組であることを逆手に取った手法でどうにかクリアしていた。この番組が持っていた「無局籍」なスタンスは、その後も毎日放送の自社製作番組群に受け継がれている。2000年以降の例としては朝の情報番組『あん!』があり、同番組も一部のコーナーで他局の番組の考察や視聴率ランキングの発表などを行っていた。 番組は週5日間の帯で放送されていたが、深夜のローカル番組ということもあって毎日放送から与えられる制作予算は非常に限られていた。番組内での公表によれば、当初の制作予算は1回の放送につき50万円で、司会を務めていたぜんじろうの1か月分のギャラは88,888円(源泉徴収税を引いた後の手取り金額は8万円)だったという。そのような中にありながらも展開していた企画内容の斬新さは視聴者から高く評価され、深夜帯ながら視聴率が10%を超えることもあった〔ぜんじろう 旅の途中 プロローグ 〕。また、視聴者に自らが見つけたネタをハガキやFAXで投稿するよう募集を掛けてはそれらを積極的に紹介したり、毎日放送社長賞を受賞した時にもその賞金を番組イベントの参加者たちに配布するグッズの原資に充てるなど〔関連書籍『テレビのツボ』186ページ参照。〕、視聴者・ファンを大事にする姿勢を明確にしていた。 番組は3年間にわたって放送され続けたが、全国ネット番組の仕事が増え始めていたぜんじろうが東京へ転居することが決まっていたこともあり〔ぜんじろう 旅の途中 第二十一回 苦悩の東京進出 〕、1995年9月29日放送分をもって一旦終了。その翌月からは『テレビのおもうツボ』という枠を新設し、月曜から木曜まではリポーターがビデオカメラで撮影してきた映像を基にトークをする新番組『ビデリンが行く!』(司会 - ベイブルース高山)を、金曜にはテレツボの縮小版『週刊テレビのツボ』(司会 - ぜんじろう、藤岡久美子)を放送するようになった。 なお、番組タイトルにある「の」の文字は、実際のタイトルロゴにおいては左右反転した形で表記されていた。これは『週刊テレビのツボ』でも同様である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テレビのツボ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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