|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ラン : [らん] 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
サー・テレンス・コンラン (Sir Terence Orby Conran, 1931年10月4日 - ) は、イギリスの家具デザイナー、インテリアデザイナー、ライフスタイルショップ経営者、レストラン経営者、著述家である。 なおコンランは騎士 (Knight) に叙勲された「サー」である。コンラン卿でも間違いではない(※但し英語圏では○○卿という場合、サーであれば「サー・テレンス」と名前にだけ付けて呼ぶか「サー・テレンス・コンラン」と言うのが通常である。) == 経歴 == テレンス・コンランは1931年10月4日、イギリス、サリーのイーシャーに生まれた。父はイーストロンドンでゴムの輸入を行う会社を経営していた。ドーセット州の Bryanston School を経て、ロンドンのデザインの名門セントラル・セント・マーチンズでテキスタイル (生地の織り方や染め方) を学んだ。 1952年にフリーのデザイナーとなり、1956年にはコンラン・デザイン・グループを設立して Summa ブランドの家具の製作を開始する一方で、ファッション/インテリアデザイナーのマリー・クワントの一号店マリークァント のデザインを手がけ始めた。また1964年には三番目の妻キャロライン・ハーバートと共に、後に斬新なデザインを特徴としたライフスタイルショップのチェーンに成長する ハビタ の一号店を、ロンドンにオープンさせた。 1973年には ザ・コンランショップ の一号店をロンドンにオープンさせた。 1980年代に入ると日本に進出し、西武百貨店と提携してハビタ館をオープンさせる。また、ハビタ を マザーケア (Mothercare) と ヒールズ (Heals) ブランドを合せた、ストアハウス (Storehouse) グループに発展させるなど、事業の拡大が続いた。 1990年代は、プライベートでは慰謝料1000万ポンド を支払い妻キャロラインと離婚、そして"ストアハウス" を売却したりと、コンランの人生にとっては波乱の時代となった。しかしその一方で日本やアメリカに "ザ・コンランショップ" やレストランを次々にオープン、また2000年にはロンドンのリヴァプールで グレート・イースタン・ホテル をリノベーションしオープンするなど、ビジネスでは新規事業参入で成功を収めた。レストラン分野では現在に至るまで世界四都市に30店以上のレストランやカフェを展開している。 インテリアデザイン・建築・文化事業の分野では、1987年にミシュランハウスを改装したレストラン "ビバンダム"と ブルーバードガラージ をオープン。また1990年代初めには、タワーブリッジに隣接したシャッドテムズ (日陰のテムズ川) と呼ばれる地区の再開発に大きな役割を果たし、デザイン奨励と社会貢献を目的として1981年に設立したコンラン財団 が中核となって、1989年にデザインミュージアム を開館している。またインテリアデザイン関係の著書や出版物も多い。 なおコンランはデザイン分野における功績と文化事業が評価され、1983年にエリザベス女王より騎士 (Knight) に叙勲され、「サー」(Sir) の敬称を許されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テレンス・コンラン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|