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ディエズ・イラエ (Dies Irae)は、ポーランドのデスメタルバンド。 == 略歴 == 1992年にマウザー (G、Vo)、China (G)、Czarny (B)、Gilan (Ds)の4名で結成。1994年に1stデモ『Fear of God』をリリース。同デモは2年後の1996年にSerenades RecordsからMCDとして再リリースされた。当時の音は、ヴェイダーやモービッド・エンジェルからの影響の強い典型的なデスメタルサウンドだった〔。1997年に2ndデモ『Promo '97』をリリース。しかし、同年にChinaと入れ替わりでマウザーがヴェイダーに加入し、ディエズ・イラエは解散する。 2000年に、マウザーがMassive Managementとソロ契約したことを機にディエズ・イラエの再結成が模索される〔。しかし、マウザーを除く解散前のメンバーが既に音楽活動を辞めていたり、ポーランド在住ではなくなっていたりしたため、結局マウザーとヴェイダーのドラマー、ドック (Ds)の2名で再結成された〔。再結成から2カ月ほどでマウザーとドックで作曲を行った。また、セプティックのギタリスト、ヤツェク・ヒロ (G)とデヴィリンのノヴィ (B, Vo)が加入する。その後すぐにレコーディングが行われ、同年中に1stアルバム『Immolated』をメタル・ブレイド・レコーズからリリースしデビューする〔。同アルバムはアヴァロン・レーベルから日本盤もリリースされた。 元々は、スタジオ・バンドの予定だったが、1stアルバムの評判やメンバーの相性の良さなどからライヴも計画されるようになった〔。実現には至らなかったがナイルとのツアーも予定されていた〔。 2002年に、2ndアルバム『The Sin War』をリリース。同アルバムは、マウザーとドックがヴェイダーの活動で多忙なため、同年5月に集中録音された〔。2003年には計画されていたライヴも敢行し、ステージに立った。また同年にはノヴィもヴェイダーに加入する。この加入でヤツェク・ヒロ以外のメンバーがヴェイダーと兼任という形になった。2004年に3rdアルバム『Sculpture of Stone』をリリース。しかし、怪我を理由にドックが脱退し、ディキャピテイテッドのドラマー、ヴィテックが加入した。2005年8月には元ドラマーのドックの訃報が伝えられ、2007年11月にはヴィテックの訃報も伝えられた。 2008年に、2004年と2005年のライヴDVDと3rdアルバム『Sculpture of Stone』をカップリングした『The Art of an Endless Creation』をリリース。 2006年頃を境に、メンバーが他バンドでの活動などで忙しくなったためか、目立った活動は行われておらず、活動休止状態となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ディエズ・イラエ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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