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ディック・スチュアート : ミニ英和和英辞書
ディック・スチュアート[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

アート : [あーと]
 【名詞】 art
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ディック・スチュアート : ウィキペディア日本語版
ディック・スチュアート[ちょうおん]

ディック・スチュアートDick Stuart , 1932年11月7日 - 2002年12月15日)は、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手内野手)右投げ右打ち。
== 来歴・人物 ==
ピッツバーグ・パイレーツに入団。パイレーツ時代1960年には23本塁打、83打点を記録し、ワールドシリーズ優勝に貢献。
この年のワールドシリーズ第7戦のビル・マゼロスキーのサヨナラ本塁打の時には、ネクスト・バッタースボックスにいた。
1961年には35本塁打、117打点を記録し、自己唯一のMLBオールスターゲーム出場を果たす。
1963年ボストン・レッドソックスに移籍するが、この年いずれも自己最多の42本塁打、118打点を記録しアメリカンリーグ打点王に輝いた。
1964年も28本塁打、95打点を記録するが、1965年フィラデルフィア・フィリーズ1966年にはニューヨーク・メッツさらにロサンゼルス・ドジャースに移籍。
強打の一塁手であったが、守備力が低く、ドジャース時代には「Dr. Strangeglove」という有難くないニックネームをつけられた。
1967年に当時の大洋ホエールズに入団。大リーグ時代は3打席連続本塁打を打つなど、来日までに通算227本塁打。チーム初の現役大リーガー入団で期待は大きく、来日初打席初本塁打を放つなど来日1年目は打率.280、33本塁打と活躍した。しかし翌年は打撃成績が半減し、守備の怠慢も目立ったため同年で解雇。翌1969年カリフォルニア・エンゼルスと契約し、大リーグに復帰した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ディック・スチュアート」の詳細全文を読む




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