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ディミトリス・フリストフィアス : ミニ英和和英辞書 | ディミトリス・フリストフィアス
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ディミトリス・フリストフィアス : ウィキペディア日本語版 | ディミトリス・フリストフィアス
ディミトリス・フリストフィアス(、1946年8月29日- )は、キプロス(南キプロス、ギリシャ系キプロス)の政治家。同国第6代大統領を務めた。マルクス・レーニン主義を掲げる共産主義政党の労働人民進歩党(AKEL)党員。北キプロス・トルコ共和国(トルコ系キプロス)との再統合(分断の経緯についてはキプロスの項目内にあるキプロス問題の節を参照)、イギリスからの独立後もキプロス島に残るイギリス軍基地の閉鎖を公約としている。2001年6月7日から2008年2月28日の大統領就任まで国会議長を務めていた。 == AKELの指導者へ == 1946年8月29日、当時はイギリスの植民地であったキプロス島北部のキレニア地区ディコモ(現在は北キプロス領)に産まれる。全キプロス労働連盟の創設メンバーであった父の影響から、若くして共産主義運動に従事。学生時代にAKELの青年部に相当する統一民主青年機構(EDON)に加入し、1969年にはEDON中央委員会委員に選ばれた。中央委員に選ばれた1969年から1974年の約5年間、ソ連のモスクワにある社会科学院および社会科学アカデミーに留学した。 帰国後、AKELの政治家としての活動を本格化させ、1977年にはEDONの総書記となる(1987年まで在任)。1976年には青年部たるEDONから、AKEL本体の地方委員会委員に選出され、AKEL内での地位を高めていく。1982年、フリストフィアスはAKEL中央委員会委員に就任した。その後もAKEL政治局員補、正式な政治局員、書記と歴任し、AKELの中心的な人物となっていった。そして1988年4月、前任のエゼキオス・パパイオアヌ総書記(党首に相当)の死去に伴い、フリストフィアスがAKEL総書記に選出された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ディミトリス・フリストフィアス」の詳細全文を読む
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