|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
デレック・フィッシャー(Derek Lamar Fisher , 1974年8月9日 - )はアメリカ合衆国の元バスケットボール選手。アーカンソー州リトルロック出身。185cm、95kg。ポジションはポイントガード。主にロサンゼルス・レイカーズなどで活躍した。前NBA選手会会長〔労使紛争の解決に奮闘する“便利屋”フィッシャー。~NBAの開幕が遅れる可能性も~ 〕。デレク・フィッシャーと表記されることもある。 == 経歴 == ===ロサンゼルス・レイカーズ=== アーカンソー大学リトルロック校でプレイした後、1996年のNBAドラフトでロサンゼルス・レイカーズから1巡目24位指名を受けてNBA入り。ルーキーイヤーの1試合平均出場時間は11.5分に留まり、平均得点は僅か3.9得点に終わり、以降数シーズンは控え選手としての生活が続いた。その間チームは大黒柱のシャキール・オニールに加え、コービー・ブライアントを獲得、名将フィル・ジャクソンの招聘を経てリーグ屈指の強豪となり、2000年には優勝を果たした。翌2000-2001シーズン、フィッシャーは右足の骨折で開幕から60ゲームを欠場してしまうが、シーズン終盤に復帰すると、残り20ゲーム全てで先発に起用され、プレイオフでは1試合平均13.4得点を挙げてチームの連覇に貢献した。翌2001-2002シーズンにはチーム3番目となる11.2得点のアベレージを残し、3ポイントシュート成功率は4割を超えた。チームは3連覇を達成し、フィッシャーはレイカーズ時代に計3つのチャンピオンリングを手に入れることになった。翌2002-2003シーズンのプレイオフはカンファレンスセミファイルでサンアントニオ・スパーズに敗れるが、フィッシャーはプレイオフ期間中フィールドゴール成功率で62%という高い数字を残していた。 翌2003-2004シーズンにレイカーズはゲイリー・ペイトンを獲得、フィッシャーは大物ポイントガードに先発の座を譲った。プレイオフのカンファレンス準決勝では再びスパーズと対戦したが、お互い2勝ずつした状況での第5戦において、フィッシャーのキャリアでのベストショットが生まれた。スパーズのエース、ティム・ダンカンに難しい体勢からのフェイダウェイショットを決められ、残り0.4秒で73-72とリードされた。レイカーズは、3度のタイムアウトの挟んだ後、ペイトンからのインバウンドパスで、ラストショットをフィッシャーに託した。僅か0.4秒の間にボールを受け、振り向きざまにフィッシャーの手から放たれたボールは、試合終了のブザーと共に見事バスケットに収まり、フィッシャーはレイカーズに大逆転勝利をもたらした。その後レイカーズはファイナルまで進出するが、デトロイト・ピストンズに敗れた。このシーズンを最後にレイカーズは解体され、フィッシャーはゴールデンステイト・ウォーリアーズに移籍した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デレック・フィッシャー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Derek Fisher 」があります。 スポンサード リンク
|