翻訳と辞書
Words near each other
・ ディワーリー
・ ディン
・ ディン (曖昧さ回避)
・ ディンウィディ・コートハウスの戦い
・ ディンウィディ郡 (バージニア州)
・ ディンカ
・ ディンカ・グレイハウンド
・ ディンカ人
・ ディンカ族
・ ディンカ語
ディンガン・トベラ
・ ディンキェ
・ ディンキェ県
・ ディンキン族
・ ディンキーコング
・ ディンギリ・バンダー・ウィジェートゥンガ
・ ディンギル
・ ディンギルの少年
・ ディンギル帝国
・ ディンギル帝国空母


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ディンガン・トベラ : ミニ英和和英辞書
ディンガン・トベラ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ディンガン・トベラ : ウィキペディア日本語版
ディンガン・トベラ

ディンガン・トベラDingaan Thobela 、男性、1966年9月24日 - )は、南アフリカ共和国プロボクサーソウェト出身。第2代WBO世界ライト級王者。第61代WBA世界ライト級王者。第11代WBC世界スーパーミドル級王者。ライト級からスーパーミドル級の飛び級で2階級制覇を達成した(5階級飛ばしての2階級制覇はトベラが初めてで飛ばした階級数も史上最多)。L字ガードから胴がすっぽり覆うブロッキングを始めとする強固なディフェンスと、優れた空間把握能力で強烈なアッパーからフックでパワー不足と体格差のハンデを埋めて互角に渡り歩いた。ダウンを喫してからの回復の速さとタフさも売りにしていた。2000年9月1日にWBC世界スーパーミドル級王者グレン・キャトリーとの対戦で残り時間僅かで逆転KO勝ちで劇的な2階級制覇を達成した試合が有名。
==来歴==

1986年6月28日、スーパーフェザー級でプロデビューを果たし4回判定勝ちで白星でデビューを果たした。
1987年12月15日、エルジャアー・セレと対戦し6回判定勝ち。
1988年3月7日、トランスバールスーパーフェザー級王座決定戦をゲラルド・イサックスと行い3回TKO勝ちで王座獲得に成功した。
1989年10月21日、フランシスコ・アルバレスと対戦し、9回TKO勝ち。トベラは初の海外試合でプエルトリコに登場した。
1988年10月1日、南アフリカスーパーフェザー級王者モピセケハヤ・ムバデゥリと対戦し3回TKO勝ちで王座獲得に成功した。
1990年9月22日、WBO世界ライト級王者マウリシオ・アセベスと対戦(5か月前の4月27日に対戦しアセベスを7回終了時棄権で勝利している。)し12回2-1(117-111、115-112、113-114)の判定勝ちで王座獲得に成功した。
1991年3月2日、マリオ・マルチネスと対戦し12回3-0(120-109、118-111、119-111)の判定勝ちで初防衛に成功した。
1991年9月24日、元IBF世界フェザー級王者アントニオ・リベラと対戦し12回3-0(117-112、115-113、118-112)の判定勝ちで2度目の防衛に成功した。
試合後WBO世界ライト級王座を返上。
1993年2月12日、カリフォルニア州サクラメントアルコ・アリーナWBA世界ライト級王者トニー・ロペスと対戦し12回0-3(113-115、2者が114-116)の判定負けでWBOに続く王座獲得に失敗した。
1993年6月26日、トニー・ロペスとダイレクトリマッチ。12回3-0(2者が116-114、118-112)の判定勝ちでリベンジを果たして王座獲得に成功した。
1993年10月30日、オルズベック・ナザロフと対戦。4回にダウンを奪ったが、10回にダウンを奪い返されたのが響き12回0-3(108-118、111-117、114-115)の判定負けで初防衛に失敗し王座から陥落した。
1994年3月19日、オルズベック・ナザロフとリマッチを行い12回0-3(2者が110-118、111-118)の判定負けで5ヶ月ぶりの王座返り咲きに失敗した。
1998年10月28日、WBCインターナショナルウェルター級王座決定戦を後のWBC世界ウェルター級王者カルロス・バルドミールと対戦し12回1-1(116-112、113-115、114-114)の3者3様の引き分けに終わり王座獲得に失敗した。
1999年3月6日、IBO世界ウェルター級王者アドリアン・ウォルター・ダネフと対戦し7回TKO勝ちで王座獲得に成功した。
1999年10月31日、WBF世界ミドル級王者コーネリアス・カーと対戦し12回0-2(114-114、113-117、114-117)の判定負けで王座獲得に失敗した。
2000年2月19日、南アフリカスーパーミドル級王者ソーン・ボーテスと対戦し12回2-0(115-114、113-111、114-114)の判定勝ちで南アフリカタイトル2階級制覇を達成した。
2000年9月1日、WBC世界スーパーミドル級王者グレン・キャトリーと対戦。限界説がささやかれる中挑戦したトベラは(トベラは世界王座を取るのが難しいとの声が多かった)判定では、リードを奪われていた(100-108、103-105、104-104)が最終12回に残り時間僅かなところで右のロングフックで劇的なダウンを奪って12回2分53秒逆転KO勝ちでジェイコブ・マトラーラムブレロ・ボティーレに次いで3人目となる世界2階級制覇を劇的な形で達成した。なおダウンを奪ってなかったらキャトリーに逃げ切りを許すところだった。
2000年12月15日、モントリオールのモルソン・センターでデーブ・ヒルトン・ジュニアと対戦し12回1-2(111-117、113-115、115-113)の判定負けで初防衛に失敗し王座から陥落した。
2001年11月30日、モルソン・センターでWBC世界スーパーミドル級王者エリック・ルーカスと対戦し8回2分15秒TKO負けで1年2ヶ月ぶりの王座返り咲きに失敗した。
2002年11月29日、IBA世界スーパーミドル級王座決定戦をミッケル・ケスラーと対戦し12回0-3(3者とも108-120)の判定負けで王座獲得に失敗した。
2004年12月3日、後のIBF世界スーパーミドル級王者ルシアン・ブーテと対戦。ダウンこそ拒否したがブーテのコンビネーションを止められず4回1分22秒TKO負けを最後に引退を発表した。
2006年10月27日、2年振りの復帰戦として6年前に勝っている南アフリカライトヘビー級王者ソーン・ボーテスと対戦。当初はライトヘビー級王座をかけた試合だったが、トベラが計量失格によりノンタイトル戦に変更になった。試合は10回終了時棄権でリベンジを喫したのを最後に引退を表明した。
2009年、デトン・ポトギエターがドキュメント本「ローズ・オブ・ソウェト・ディンガン・トベラ・ストーリー」が出版された。この本の中にはトベラの真の人生の物語として夢を与え多くの影響を与える方法が書かれていて、実際にあった社会的背景、地位の逆境の乗り越え方を説いている。トベラが実践した新たな自分を見つめ直す方法が紹介され、運命に翻弄された頃のトベラを描いている。300ページ以上の本の他に2012年には電子書籍でも発売されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ディンガン・トベラ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.