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ディーン・リーパー : ミニ英和和英辞書
ディーン・リーパー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ディーン・リーパー : ウィキペディア日本語版
ディーン・リーパー[ちょうおん]
ディーン・リーパー(,1920年11月12日 - 1954年9月26日)は、アメリカ合衆国出身のキリスト教青年会 (YMCA) に所属した宣教師デーン・リーパーとも表記される。
==生涯==
1920年、イリノイ州カントン生まれ。1938年、イリノイ大学農学部に入学し、YMCAに入会する。1941年にイリノイ大学のYMCA会長に選ばれる。1942年6月、大学を卒業。全米学生伝道団の巡回主事に任じられ、全米を巡回する。
1943年9月、シアトルワシントン大学国際会館の監事に就任、日系人学生を中心としたアジア系学生の世話をする。1944年、アメリカ海軍招集され、日本語教育機関に志願して選ばれ、コロラド大学日本語を学ぶ。
除隊後に中国伝道を志してエール大学中国語を学び始めるが、1945年に再び陸軍に召集される。6月、軍籍にある間にミルドレッド・ケイヴィンと結婚する。日本に進駐軍の語学兵として派遣されることを断り、除隊を申し出た。
1946年に陸軍を除隊する。9月からイェール大学神学部で勉強を始める前に、夫婦で全米を貧乏旅行する。1947年、ガレット神学校に進学して、イリノイ大学のメソジスト・ファウンデーションに就任して学生伝道を行っている時に、長男スティーヴが生まれる。
1948年10月、日本YMCA同盟の要請で北米カナダYMCA同盟から日本派遣主事に選ばれ、1949年12月28日に渡日する。1949年、次男デイヴィッドが誕生する。
1951年12月から翌年1月まで、WSCF主催「アジア大学問題研究協議会」に日本代表として出席する。1952年、長女リンダが東京で生まれる。1953年2月にアジア・エジプトギリシャヨーロッパを経て帰米、エール大学神学部で組織神学を学ぶ。
1954年、エール大学より神学士を授与され、按手礼を受けて牧師になる。エヴァンストンで開かれた第二回世界教会会議に出席。
9月5日に家族で来日して、9月22日に学生キリスト運動の現状を知るために北海道を訪れ、26日に函館港より洞爺丸に乗り込り込む。偶然、カナダメソジスト派の宣教師アルフレッド・ストーンドナルド・オースと同船する。11時30分に台風により洞爺丸が横転沈没し、ストーンと共に海難死する。5日後に七重浜に遺体があがる。海難死する直前に、混乱する乗客を手品で和ませたり、ストーンと共に日本人の子供に自分の救命胴衣を着せたことが、生き残ったドナルド・オースの証言により分かっている。ストーンとリーパーに救命胴衣をもらった日本人は生還、親族が新聞社に伝えたことで報道された。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ディーン・リーパー」の詳細全文を読む




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