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ディーヴァーヌ・ヒュマーユーン : ミニ英和和英辞書
ディーヴァーヌ・ヒュマーユーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ディーヴァーヌ・ヒュマーユーン : ウィキペディア日本語版
ディーヴァーヌ・ヒュマーユーン[ちょうおん]
御前会議(トルコ語:''Divan'')とは、イスラム教国家において政治的事柄を論じ、裁定を下す機関である。
オスマン帝国において政務について議論する機関はディヴァーヌ・ヒュマーユーン(''Dîvân-ı Hümâyun'')と呼ばれ、その他にも場所や目的に応じて様々な名称で呼ばれた。 臣民の前にスルタンが姿を現すアヤック・ディヴァーヌ(''Ayak Divanı'')、外国大使の受入に関するガレベ・ディヴァーヌ(''Galebe Divanı'')、サドラザムの出国時に召集されるセフェル・ディヴァーヌ('' Sefer Divanı'')、遠征時に馬上で行われたアト・ディヴァーヌ('' At Divanı'')、イェニチェリの給与に関するウルフェ・ディヴァーヌ('' Ulufe Divanı'')、大宰相府で御前会議の未完の仕事を完了するため召集されるイキンディ・ディヴァーヌ('' İkindi Divanı'')などが存在した〔http://books.google.com.tr/books?id=cYvAAgAAQBAJ&pg=PT74&dq=%22ayak+divan%C4%B1%22&hl=tr&sa=X&ei=x6ecU9CxBJPX7AawkIGwAw&ved=0CBsQ6AEwAA#v=onepage&q=%22ayak%20divan%C4%B1%22&f=false〕

== オスマン帝国以前の御前会議 ==
イスラムの歴史において初の御前会議は、第2代カリフウマル・イブン・ハッターブの時代(634年-644年)において政府の一部門として設立され、政府の歳出入に関する政務を行っていた。
ウマイヤ朝時代(661年-750年)にはその人数を増加させ、政府の中心であるシャムにおいて税に関する政務を監督するディヴァヌル・ハラジュ(''Divanü'l-Harac'')として中央議会としての性質を得た。中央で様々な政務を行う議会の他、各州にも議会が置かれた。
この議会制度の伝統はアッバース朝時代(750年-1258年)にも続いた。この時代には、税務に関してはディヴァヌル・ハラジュザカートに関してはディヴァヌス・サダカ(''Divanü's-Sadaka'')、軍務に関してはディヴァヌル・ジェイシュ(''Divanü'l-Ceyş'')、政府職員の賃金に関してはディヴァヌン・ナファカ(''Divanü'n-Nafaka'')、宮殿の管理に関してはディヴァヌル・ハジネ(''Divanü'l-Hazine'')、郵便や諜報に関してはディヴァヌル・ベリディ(''Divanü'l-Beridi'')、財務管理に関してはディヴァヌズ・ズィメム(''Divanü'z-Zimem'')という議会がそれぞれ扱った。またディヴァヌス・スル(''Divanü's-Sır'')が国内外の重要事項に関する決定を為す最上位機構とされていた。 アッバース朝においてはディヴァヌル・メザリム(''Divanü'l-Mezalim'')と呼ばれる、国民の様々な苦情や訴えを聞き、カリフへと上申する機関も存在した。 カリフは会議に参加することはなく、必要な場合は議場を見渡す場に座り、窓越しに会議を見るだけであった。
それ以降に建国されたイスラム国家もまたアッバース朝の議会制度を継続させ、セルジューク朝では最高行政府としてディヴァヌ・アーラー(''Divanı Âlâ'')が設立された。ディヴァヌ・アーラーの下には公務を行うディヴァヌ・インシャー('' Divan-ı İnşa'')とディヴァヌ・トゥウラ(''Divan-ı Tuğra'')と呼ばれる二つの機関が存在した。 財務記録はディヴァヌ・イシュラフ・メマリク(''Divan-ı İşraf-ı Memalik'')が、財務監査はディヴァヌ・ナザル・メマリク(''Divan-ı Nazar-ı Memalik'')が行った。 軍務はディヴァヌ・アルズ(''Divan-ı Arz'')もしくはディヴァヌ・ジェイシュ(''Divan-ı Ceyş'')が行った。
ルーム・セルジューク朝においてもこれらの議会制度は変更を加えながらも継続し、アナトリア地方のベイリク白羊朝黒羊朝においても類似した制度が用いられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ディーヴァーヌ・ヒュマーユーン」の詳細全文を読む




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