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デイビー・ロープス : ミニ英和和英辞書
デイビー・ロープス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

デイビー・ロープス : ウィキペディア日本語版
デイビー・ロープス[ちょうおん]

デイビー・アール・ロープスDavid Earl Lopes , 1945年5月3日 - )は、アメリカ合衆国ロードアイランド州イーストプロビデンス出身の元プロ野球選手二塁手)。右投右打。スピードとパワーを兼備する多面的攻撃型プレーヤーであり、主に一番打者として活躍した。そして、16シーズンに及ぶ現役生活において通算557盗塁、成功率83パーセントの数字を刻み、「MLB史上有数のベスト・ベース・スティーラー」と評される〔。なお、ロープスはバッティンググローブをほとんど着用せず、もっぱら出塁した時に限り手袋をはめていた〔。
現在はワシントン・ナショナルズで一塁コーチを務める。
==経歴==
MLBドラフトサンフランシスコ・ジャイアンツから8巡目(全体157位)で指名を受けるもこれを拒否、契約には至らず。翌のMLBドラフトロサンゼルス・ドジャースから2巡目(全体26位)で指名を受け、プロ入り。
ロープスは比較的遅咲きの選手で〔、メジャーデビューを果たしたのは5年目の、27歳の時であった。マイナーリーグAAA級で104試合に出場の上、.317の高打率を残すとメジャーに昇格。9月22日の対ジャイアンツ戦において「一番・二塁」で先発起用され、5打数安打の結果でデビュー戦を終えた。しかし、翌23日は3個の四球を選び、キャリア初盗塁を決めている。更に、24日にはジム・バー投手から初安打となるライト前ヒットを放ち、初得点も挙げている。ルーキー・イヤーは出場11試合、打率.214、4盗塁の成績でシーズンを終えた。
翌は開幕戦からベンチ入りし、当初は代打代走守備固め等の途中出場が主な使われ方であったが、4月22日に「八番・二塁」で先発出場すると、5月2日からは一番に抜擢。以後「一番・二塁」の座を堅守、142試合に出場して147安打を放ち、36個の盗塁を決めるなど、ルーキー・オブ・ザ・イヤー投票の6位にランクイン。レギュラー2年目のには、8月20日シカゴ・カブス戦で球団レコードの15塁打を放ち(内訳は3本塁打・1二塁打・1単打、チーム全体の48塁打も球団レコード)、24日のセントルイス・カージナルス戦では5盗塁を決めるなど(ナショナルリーグ・タイ記録)、多面的な攻撃能力を実証している〔。
メジャー4年目の、30歳を迎えたロープスは自己最多の155試合に出場の上、キャリアハイの77盗塁を決めて盗塁王に輝いた。更に、8月9日には32個目の連続盗塁を成功させ、マックス・キャリーがに打ち立てたメジャー・レコードを53年ぶりに塗り替えた〔。その後、24日にモントリオール・エクスポズゲーリー・カーター捕手に刺されて記録は途絶えたものの、ロープスは38回まで数字を伸ばした〔。加えて108得点(リーグ3位)、91四球(同5位)、255出塁(同7位)をマークするなど、走塁能力と出塁能力両面において才気を煥発した。更に、翌も63盗塁で2年連続盗塁王に輝いている。
は出場151試合、打率.278、17本塁打、58打点、出塁率.355、45盗塁(3位)、93得点(6位)の好成績を挙げ、MVP投票の16位にランクされた他、ゴールドグラブ賞を受賞し、MLBオールスターゲームに初選出された。なお、ロープスはこの年からまで4年連続でオールスター出場を果たしている。ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは、6試合に出場して3本塁打・7打点を叩き出したがチームは敗退。34歳になる翌も153試合に出場して打率.265、28本塁打(8位)、73打点出塁率.372、OPS.836、44盗塁(3位)、97四球(3位)、255出塁(7位)、109得点(3位)、RC113(8位)の好成績を収めた。ナ・リーグの二塁手で28本塁打を放ったのはロープスとロジャース・ホーンスビーデーブ・ジョンソンジェフ・ケントライン・サンドバーグホワン・サミュエルチェイス・アトリーダン・アグラのみであり、この79年がロープスのキャリア・イヤー、ベスト・シーズンと考えられている〔。更に、野球ライター兼野球史研究家・野球統計学専門家であるビル・ジェームズによれば、ゴールドグラブ賞受賞は前年ではなく本年の方がより相応しい、と述べている〔。
プロ14年目、メジャー10年目のは58試合の出場に留まり、バッティングに関しても.206の低打率に終わった。ポストシーズンでは10盗塁をマークするも、当時21歳の新鋭スティーブ・サックスが順調に成長を続けていたことから、既に36歳になっていたロープスはオークランド・アスレチックスへと放出されることになった〔。なお、ロープスの後継者〔に指名されたサックスは、翌に「一番・二塁」のレギュラーに収まり、150試合に出場の上、打率.282、49盗塁の数字を残し、オールスター選出とルーキー・オブ・ザ・イヤー受賞を遂げている。
ドジャース時代のロープスは一番打者であったが、アスレチックス移籍1年目の82年は、主に六・七番の下位打線を務めることが多くなった。この年、メジャー4年目で当時23歳のリッキー・ヘンダーソンがシーズン130盗塁のメジャー・レコードを樹立、ロープスも28盗塁をマークして、二人だけで158個の塁を盗んだ〔。ヘンダーソンは以後も盗塁数を積み上げ、通算1406盗塁の金字塔を打ち建てたが、「バッテリーの配球と球種を先読みして走るスキルはデービーに習ったんだ」と後に回顧している。以後、ロープスはシカゴ・カブスヒューストン・アストロズを渡り歩き、オフに戦力外通告を受け引退。なお、40歳になるは47盗塁、翌には25盗塁と、晩年まで出群のスピードとクイックネスを維持していた。
以降はテキサス・レンジャーズボルチモア・オリオールズサンディエゴ・パドレスの一塁コーチ、ベンチコーチを歴任。11月4日ミルウォーキー・ブルワーズ監督に就任、翌からまでの成績は144勝195敗(勝率.425)。同年4月18日、15ゲームを消化した時点で解雇され、ジェリー・ロイスター・コーチが監督代行になった〔。からまではパドレス、はワシントン・ナショナルズの一塁コーチを勤め上げ、同年10月16日フィラデルフィア・フィリーズの一塁コーチ兼外野守備/走塁インストラクターに着任し、まで在籍。よりドジャースの一塁コーチを務め、よりナショナルズの一塁コーチを務める。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「デイビー・ロープス」の詳細全文を読む




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