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デイブ・クラーク・ファイブ : ミニ英和和英辞書
デイブ・クラーク・ファイブ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

デイブ・クラーク・ファイブ ( リダイレクト:デイヴ・クラーク・ファイヴ ) : ウィキペディア日本語版
デイヴ・クラーク・ファイヴ[ちょうおん]

デイヴ・クラーク・ファイヴThe Dave Clark Five)は、イギリスバンド1960年代ブリティッシュ・インヴェイジョン勢力のバンドとして活躍した。DC5と略される。
== 略歴 ==
ドラマーのデイヴ・クラークを中心にロンドン北部の下町トッテナム1962年に結成し、1963年デビュー。「グラッド・オール・オーバー」のナンバーワンヒットで脚光を浴び、ビートルズの好敵手と目されるようになる。その後も代表曲となる「ビコーズ」などがヒット。同年のアメリカ進出も大成功し、一躍スターとなった。1964年から1967年夏までは本国よりもアメリカでの人気が高く「オーバー・アンド・オーバー」が1965年に全米ナンバーワンとなる(唯一の全米ナンバーワン)。
1966年、ビートルズ来日以前に日本公演の話が出るも、。1967年夏、アメリカで「青空の恋」がトップ10に入っている頃に最後の全米ツアーを行い大盛況を博す。なお、英本国では「エブリバディ・ノウズ」(邦題:青空が知っている、1965年のEverybody Knowsとは同名異曲)が全英2位を記録しており、活動の中心がアメリカから本国へ移っていることがわかる、以後は1970年夏の解散まで英本国のみのTOP10ヒットを放ち続けた。また、前半はオリジナル曲中心だったが、後半は他人の曲を多くヒットさせている。
ビートルズに続いて、カーネギーホールでの公演を大成功させる(後にローリング・ストーンズが公演を行うも、あまりのステージマナーの悪さにより、以後ポピュラー音楽の使用はシャットアウトされるに至った)。
バンドはテナーサックスオルガンをフィーチャーした肉厚なサウンドスタイルで他のバンドとの差別化を図り、観客の度肝を抜かせたその音はリバプールサウンドに対抗してトッテナム・サウンドとも呼ばれたが、当時の日本ではビートルズでさえ騒々しい音楽と揶揄されており、重厚なサウンドであるDC5に対しては理解が乏し過ぎ高い支持が得られず終いだった。
テナーサックス兼リズムギター担当のデニス・ペイトンは2006年12月17日に逝去、リードボーカル/オルガン/ピアノ担当のマイク・スミスは2008年2月29日に64歳で亡くなる。
2008年にロックの殿堂入りを果たし、授賞式でのプレゼンターはトム・ハンクスが務め、締めくくりとしてジョーン・ジェットが「Bits and Pieces」をカヴァーした。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「デイヴ・クラーク・ファイヴ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 The Dave Clark Five 」があります。




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