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デイム・ジュディス・アンダーソン : ミニ英和和英辞書
デイム・ジュディス・アンダーソン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

アンダー : [あんだー]
 【名詞】 1. under 2. (n) under
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

デイム・ジュディス・アンダーソン ( リダイレクト:ジュディス・アンダーソン ) : ウィキペディア日本語版
ジュディス・アンダーソン[ちょうおん]

ジュディス・アンダーソンJudith Anderson1897年2月10日 - 1992年1月3日)は、オーストラリアアデレード出身で主にアメリカ合衆国で活動した女優デイム・ジュディス・アンダーソンと表記されることもある。
アルフレッド・ヒッチコック監督のアカデミー作品賞受賞作『レベッカ』のダンヴァース夫人役(アカデミー助演女優賞ノミネート)で知られる名女優。
舞台で活躍し、特にシェイクスピアの『マクベス』で演じたマクベス夫人は当たり役。また『マクベス』のテレビドラマ化に際して2度マクベス夫人を演じ、どちらもプライムタイム・エミー賞主演女優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)を受賞している。
== 略歴 ==
1897年オーストラリアアデレードで生まれる。本名フランシス・マーガレット・アンダーソン=アンダーソン、父はジェームズ、母はジェシー・マーガレット。
1915年シドニーの舞台でプロデビュー。当時の芸名はフランシー・アンダーソン。その後、周りのアメリカ人俳優たちの勧めもあり、カリフォルニアに渡るが失敗。1918年ニューヨークに渡り、小劇場の舞台に立った後、1922年フランシス・アンダーソンの名前でブロードウェイデビュー。その1年後、芸名をジュディス・アンダーソンに変える。以降はブロードウェイで活躍、1930年代には最も偉大な舞台女優の1人としてブロードウェイを代表するスターとなる。
1933年の『濡れた拳銃(コルト)』で映画デビューするが、その後も活動の中心は舞台であり、映画には出演しなかった。
1937年カリフォルニア大学バークレー校教授ベンジャミン・ハリソン・レーマンと結婚するが1939年に離婚。
1940年に7年ぶりに出演した映画『レベッカ』で第13回アカデミー賞助演女優賞にノミネート。以降は映画にも出演するようになる。
1946年に演劇プロデューサー、ルーサー・グリーンと結婚するが1951年に離婚。
1947年から上演された舞台『メディア』で1948年トニー賞演劇主演女優賞を受賞。
1950年代以降はテレビドラマにも出演。1954年のテレビ映画『マクベス』でプライムタイム・エミー賞主演女優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)受賞。
1960年大英帝国勲章デイム・コマンダー(DBE)を受章。1960年のテレビ映画『マクベス』で2度目となるプライムタイム・エミー賞主演女優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)を受賞。1991年オーストラリア勲章コンパニオン(AC: Companions of the Order of Australia)を受章。
1992年肺炎で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジュディス・アンダーソン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Judith Anderson 」があります。




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