|
デイヴィッド・エレフソン(, 1964年11月12日~)は、アメリカ合衆国出身のベーシストで、スラッシュメタルバンド「メガデス」の結成メンバーの一人でもである。メガデスのリーダーであるデイヴ・ムステインと同じく「デイブ」と呼ばれる事から混同を避けるため「ジュニア」と呼ばれる事が多い。 ==概要== 1964年11月12日にミネソタ州ジャクソンで生まれ、ノルウェー系、ドイツ系、イギリス系と多様な家系を持つ。中西部のクラブなどで幾つかのバンドを経験し、その後ロサンゼルスに移住した。 1983年にデイヴ・ムステインと共にメガデスを結成。この頃から「ジュニア」と呼ばれるようになる。デビューアルバムの「キリング・イズ・マイ・ビジネス」から2002年のライブアアルバム「Rude Awakening」まで、メンバーの入れ替わりが激しいメガデスの中で不動のベーシストとして活動する。 2002年にデイヴ・ムステインが腕の病気によりメガデスの活動休止・解散となり、エレフソンは一度ムステインと袂を分かつ。しかし2004年にムステインがソロ活動ながらメガデス名義でアルバム「ザ・システム・ハズ・フェイルド」をリリースした。このアルバムには参加していなかったエレフソンはメガデス名義でアルバムがリリースされた事に激怒し、ムステインとの間に「メガデス」という名前を使う事への権利所有権などを巡り法廷闘争が繰り広げられた。しかし2005年にムステインが和解のためにエレフソンをディナーに誘い、お互いの関係を修復、2010年にはエレフソンがメガデスに復帰を果たした。 メガデスを脱退していた2002年~2010年の間には、「F5」というバンドを結成したり、ソウルフライなどのアルバムにゲスト参加をしたり、元ジューダス・プリーストのVoティム・オーウェンズ、セパルトゥラのGuアンドレアス・キッサー、元SlayerのDrポール・ボスタフなどと共に「HAIL!」というハードロック/ヘヴィメタルのトリビュートバンドで活動していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デイヴィッド・エレフソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|