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デビッド・モーリス・ロビンソン(David Maurice Robinson, 1965年8月6日-)は、アメリカ合衆国の元バスケットボール選手で、1990年代を中心に14年間NBAのサンアントニオ・スパーズでプレイした。身長216センチの長身に似つかわしくない俊敏さと運動能力を持ち、その時代を代表するセンタープレイヤーの一人だった。3度のオリンピックにアメリカ代表として参加、1992年と1996年には金メダルを獲得、1988年には銅メダリストとなった。NBAでは2度の優勝経験を持つ。1996年にはNBA50周年を記念した「50人の偉大な選手」の一人に選ばれ、2009年にはバスケットボール殿堂入りした。アメリカ海軍で士官として軍役に就いていたため、提督(The Admiral)のニックネームでも呼ばれていた。左利き。フロリダ州キー・ウェスト生まれ。 == プロ入りまで == バスケットボールを始めた時期はプロ入りした選手としては遅く、バージニア州の高校時代だった。高校卒業後は海軍兵学校に進み、バスケットボールを続けた。海軍兵学校で4年間プレイした大学リーグ時代の活躍は華々しく、ブロックショットやリバウンドでシーズン記録をあげたほか、4年次の1987年にはネイスミス賞、ウッデン賞を受賞した。 1987年のドラフトでは、全体1位でサンアントニオ・スパーズの指名を受ける。しかしロビンソンはすぐにはプロ入りせず、その後2年間、キングス・ベイの潜水艦基地で土木工学担当士官として軍役に就いた。 軍役1年目の1988年にはアメリカ代表選手としてソウルオリンピックに参加。アメリカは準決勝でソ連代表と対戦した。ロビンソンはこの試合19得点12リバウンドと活躍したが、アルビダス・サボニスを擁するソ連に一歩及ばず82対76で敗れ、結局銅メダル獲得となった(金メダルはソ連)。1972年ミュンヘンオリンピックでの遺恨試合と違って地力でアメリカが敗れたため、この敗戦はのちにドリームチームが結成される一つの契機になった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デビッド・ロビンソン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 David Robinson (basketball) 」があります。 スポンサード リンク
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