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デカンショ節 : ミニ英和和英辞書
デカンショ節[でかんしょぶし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せつ, ぶし]
  1. (n-suf) tune 2. tone 3. knot 4. knob 5. point

デカンショ節 : ウィキペディア日本語版
デカンショ節[でかんしょぶし]

デカンショ節(でかんしょぶし)は、兵庫県篠山市を中心に盆踊り歌として歌われる民謡であり、学生歌としても広く歌われた。篠山節、篠山デカンショ節ということもある。篠山市無形文化財〔神戸新聞NEXT「日本遺産、18件初認定 丹波篠山のデカンショ節など」 〕。
2015年(平成27年)4月24日、文化庁により日本遺産の最初の18件の一つとして「丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」が選ばれた〔神戸新聞NEXT「日本遺産、18件初認定 丹波篠山のデカンショ節など」 〕。
== 歴史 ==
江戸時代から篠山市域で歌われていた「みつ節」が変形したものであると伝えられている。大正時代には、デッコンショ節などとも呼ばれていたようだが、次第にデカンショ節という名称に収斂していった。
デカンショ節が学生歌として全国に普及したきっかけとして、以下のような伝承がある。
篠山藩主の青山家は、明治維新後は学問を奨励し、篠山に鳳鳴義塾等の私立の中学校を作り、その中の優秀な者を東京に寄宿舎を作り遊学させた。
篠山からの遊学生は、例年、夏には千葉県八幡の浜で過ごしていた。明治31年(1898年)の夏、宿泊先の江戸屋の二階で元藩主青山忠誠の養子青山忠允をはじめとする篠山出身の若者達が郷土の盆踊り歌を蛮声を張り上げうたっていた。それをたまたま階下に宿泊していた旧制一高の水泳部員の塩谷温達がこの歌を聞きとめ、たちまち気に入ったという。
そこで、一高水泳部員達は、篠山出身の若者たちに付添っていた亘理章三郎(後の東京高等師範学校教授)などから歌の指導をうけ、意気投合した。それを、東京に戻ってからも歌った。これによって多くの学生や若者の共鳴を受けて愛唱されるようになり、全国に広まった。また、デカンショ節の歌詞の多くを亘理章三郎が作成したという伝承もある。
篠山市域での盆踊り歌は、みつ節が衰退し、播州音頭などが中心になっていた。そこへ学生歌として高唱されていたデカンショ節が逆輸入される。戦後は、観光資源としてデカンショ祭をはじめとして積極的に利用されるようになる。これによって、現代ではデカンショ節は篠山市を代表する民謡となっている。
大正時代の普選運動で作られた「デモクラシー節」なる替え唄も存在し、近年、チンドン楽団のソウル・フラワー・モノノケ・サミットがアルバム『アジール・チンドン』で取り上げている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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