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デジレ・ドンデイヌ : ミニ英和和英辞書
デジレ・ドンデイヌ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


デジレ・ドンデイヌ : ウィキペディア日本語版
デジレ・ドンデイヌ

デジレ・ルイ・コルネイユ・ドンデイヌ1921年7月20日 - 2015年2月12日)はフランスの指揮者作曲家''、1921年7月20日 - 2015年2月12日)はフランスの指揮者作曲家
== 来歴 ==
エーヌ県ランに生まれ、リール国立地方音楽院でフェルディナン・キャペル(Ferdinand Capelle)にクラリネットを師事し、14才でソルフェージュ、17才でクラリネットのプルミエ・プリを得た。その後、パリ音楽院でオーギュスト・ペリエ(Auguste Périer)のクラスで学んだ。1939年フランス空軍軍楽隊に入隊し、パリ解放後に再びパリ音楽院に戻って、1945年にクラリネットのプルミエ・プリを得ると、1945年から1951年にかけてジャン・ギャロン和声ノエル・ギャロンフーガ対位法トニー・オーバン作曲オリヴィエ・メシアンアナリーゼを学び、それぞれでプルミエ・プリを得ている。
1953年に除隊し、1954年7月にの指揮者に就任、1979年に退くまでこの楽団の黄金期を築いた。1980年から1986年までイシー=レ=ムリノーのニデルメイエール音楽院(:fr:Conservatoire à rayonnement départemental d'Issy-les-Moulineaux)の院長に就いた。
パリ警視庁吹奏楽団時代にはレコーディングにも積極的に取り組み、小品集からベルリオーズの「葬送と勝利の大交響曲」のような大曲に至るまで、100を超える録音を行っている。
作曲家として自ら作曲するだけでなく作曲の委嘱も行い、さらに吹奏楽編曲や校訂、他の作曲家の作品のオーケストレーションも数多く手がけた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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