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デニス・アオゴ(Dennis Aogo, 1987年1月14日 - )は、西ドイツ(現ドイツ)・カールスルーエ出身のサッカー選手。ブンデスリーガ・シャルケ04所属。ドイツ代表。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。ナイジェリアにルーツを持つ〔"Aogo erteilt Nigeria Absage" 〕。 == 経歴 == === クラブ === ナイジェリア人の父とドイツ人の母の下でカールスルーエの南西郊外にあるオーバーロイトに生まれたアオゴは、地元のBulacher SCでキャリアを始め、7歳の時にカールスルーエSCの下部組織に入団した〔"Aufsteiger Aogo: So bin ich wirklich" 〕。また、U-15とU-17時代はカールスルーエでの訓練と平行して度々FV Grünwinkelの訓練を受けていた〔"Nationalspieler zu Besuch beim FV Grünwinkel 1910 e.V." 〕。2000年になると両親が離婚したことで父と共にブルッフザールへ移住するため、カールスルーエを去りSVヴァルトホーフ・マンハイムに参加し、2002年の15歳の時にSCフライブルクの下部組織に入団した〔"Dennis Aogo: "Bin schon ein bisschen ein Chaot"" 〕。17歳の時に同クラブのトップチームに昇格を果たし、2004年10月23日のハンブルガーSV戦でブンデスリーガ初出場を飾って以降、すぐさまセントラルMFのレギュラーを獲得した。 2008-09シーズン開幕前の2008年6月18日に移籍金150万ユーロで同国1部のハンブルガーSVと4年契約を締結〔"Aogo-Wechsel perfekt" 〕。10月26日のTSG1899ホッフェンハイム戦で初出場を飾り、次節ではマルセル・ヤンセンとティモシー・アトゥバが負傷により先発出場した。以降は左SBを主戦場として定期的に先発に名を連ね、UEFAカップ 2008-09とUEFAヨーロッパリーグ 2009-10でチームの準決勝進出に貢献。2011年10月25日にDFBポカール2回戦のSVアイントラハト・トリーア戦(2-1)で移籍後初得点を記録した。 2012-13シーズンでは、開幕前にダヴィド・ヤロリームとホセ・パオロ・ゲレーロがそれぞれフランスとブラジルへ去ったことで最古参の選手となったアオゴは、トルステン・フィンク(en)監督から選手協議会に選出された。2013年1月27日のベルダー・ブレーメン戦(3-2)でリーグ初得点を挙げた。2013年8月17日のホッフェンハイム戦(1-5)で大敗後にフィンク監督からチームに対して2日間の休暇を与えられると、アオゴは同僚のトマス・リンコンと共にマヨルカ島へ小旅行した。しかし、大敗後にパーティーを楽しむための島へと向かったことがプロ意識の欠如と見なされ、次節ヘルタ・ベルリン戦の遠征メンバーから外される罰則が言い渡された〔"Aogo und Rincón nicht im Kader für Hertha-Spiel" 〕。その後、フィンク監督は再びアオゴを練習復帰させるとの発言をしていたものの、給料削減を模索するチーム事情やヘルタ戦前に負傷したヤンセンの代役を務めたジギン・ラム(en)が穴を埋めるプレーを見せたことで構想外となり〔"Aogo am Samstag schon im Schalke-Trikot" 〕、2013年8月28日、負傷したセアド・コラシナツの代役としてシャルケ04にシーズン終了までのレンタル移籍(完全移籍のオプション付)をした〔"シャルケ、期限付き移籍でアオゴを獲得" UEFA.com、2013年8月28日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デニス・アオゴ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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