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デニス・テン : ミニ英和和英辞書
デニス・テン[てん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

テン : [てん]
 【名詞】 1. 10 2. ten 3. (P), (n) 10/ten

デニス・テン : ウィキペディア日本語版
デニス・テン[てん]

デニス・ユーリエヴィチ・テン(、, 1993年6月13日 - )は、カザフスタンフィギュアスケート選手(男子シングル)。
2014年ソチオリンピック銅メダリスト。2010年バンクーバーオリンピックカザフスタン代表。2013年世界選手権2位。2015年四大陸選手権優勝。
== 経歴 ==
1993年カザフスタンアルマトイで生まれる。
5歳の時、母親の希望によりスケートを始める。9歳の時、ロシアオムスクで行われた試合に優勝した際に、ジャッジの一人から旧ソ連地域内低年齢クラスの大きな競技会であるクリスタルスケートに招待される。この大会でエレーナ・ブイアノワと出会い、サマーキャンプに参加。ブイアノワの奨めにより、2004年から母親と共にロシアに移住し、10歳の時からモスクワにて本格的な指導を受けることとなった。2010年まで母親と共にモスクワに在住しブイアノワとタチアナ・タラソワのコーチを受ける〔『フィギュアスケートDays Vol.9』 ダイエックス出版、2009年4月、p.26〕〔『ワールド・フィギュアスケート No.38』 新書館、2009年5月、p.66-67〕。2010 - 2011シーズンにコーチをフランク・キャロルに変え、拠点をロサンゼルスに移した。
2008-2009シーズン、JGPゴールデンリンクスで優勝。同時にカザフスタンに初めて国際スケート連盟主催競技会のメダルをもたらした。世界ジュニア選手権は4位。世界選手権では8位。いずれもISUフィギュアスケート選手権におけるカザフスタン史上最高順位である。
2009-2010シーズンからシニアに上がり、ISUグランプリシリーズに参戦。2010年バンクーバーオリンピックにカザフスタン代表として出場し第11位となった。
この2009-2010シーズン時点では、3回転アクセルを含む6種類の3回転ジャンプを競技会で用いており競技会での4回転ジャンプはない。しかし練習では4回転トウループや4回転トウループ+3回転トウループのコンビネーションを成功させている。4回転ジャンプに取り組み始めたのは12歳の頃で、当初は4回転サルコウを練習していたが、上手くいかなかった為トウループの練習に変えたという〔『フィギュアスケートDays Vol.9』 ダイエックス出版、2009年4月、p.26〕。
2010-2011シーズン、NHK杯では最下位、スケートアメリカではFSで5回の転倒をするなどして11位。世界選手権では過去最低の14位に沈んだ。
このシーズンでも4回転ジャンプへの競技会での挑戦は無かったが、翌2011-2012シーズンよりFSの冒頭に4回転トウループが取り入れられた。そして同シーズンのグランプリシリーズのスケートアメリカでは回転不足判定を受けたものの、続くスケートカナダでは着氷に成功した。
2011-2012シーズン、上記のグランプリシリーズでは2戦とも5位。これとは別に、世界ジュニア選手権に母国の後進の若手選手が出場できる出場枠を確保するために2シーズンぶりに出場して4位、世界選手権では4回転トゥループを成功させ過去最高の7位に入賞した。
2012-2013シーズン、SPとFSともにローリー・ニコルの振付で、映画『アーティスト』を前半と後半に分けて演じた〔フィギュアスケートDays 男子シングル読本 2012 Winter P.74〕。シーズンを通じて、右足首の怪我に悩まされていた〔London calling: Perfect Ten, Wagner talks triple 〕。世界選手権ではSP、FSともにパーソナルベストを大きく更新する出来で2位。カザフスタンにISUチャンピオンシップスで初めてのメダルをもたらした。
2013-2014シーズン、両足首と背中の怪我および感染症によりスケートアメリカを欠場。中国杯では4位。メラーノ杯アイスチャレンジで連続優勝。ユニバーシアードは直前の練習で負傷し、SPを滑る前に棄権した〔Denis Ten si ritira last minute dalle Universiadi 〕。ソチオリンピックではSP9位と出遅れるも、FS3位となり総合3位で銅メダルを獲得。カザフスタンの選手としては初のフィギュアスケートのメダリストとなった。尚世界選手権は欠場を表明。
2014-2015シーズン、エリック・ボンパール杯で自身初のグランプリシリーズのメダルを獲得。自身のルーツがある韓国で開催された四大陸選手権では2位に30点近い大差をつけ優勝。カザフスタンに初めて四大陸選手権のメダルをもたらした。世界選手権では3位となり、世界選手権で2つ目のメダルを獲得した。
2015-2016シーズン、スケートアメリカは腰と股関節の怪我が影響し9位〔Aaron wins first Grand Prix title behind stellar free 〕。四大陸選手権は欠場。世界選手権は11位に終わった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「デニス・テン」の詳細全文を読む




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