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デニス・マッキノン : ミニ英和和英辞書
デニス・マッキノン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


デニス・マッキノン : ウィキペディア日本語版
デニス・マッキノン

デニス・マッキノン(Dennis McKinnon 1964年11月4日- )はジョージア州クイットマン出身のアメリカンフットボール選手。NFLシカゴ・ベアーズなどで1983年から1990年まで7シーズンプレーした。ポジションはワイドレシーバー。ニックネームはシルキーD(Silky D)〔。
== 経歴 ==
ボビー・ボウデンの下〔、フロリダ州立大学で先発WRの地位を確保できなかった彼は、1983年、ドラフト外フリーエージェントでシカゴ・ベアーズに指名されて入団した。1年目の1983年には3試合に先発出場し、20回のレシーブで326ヤードを獲得、4TDをあげるとともに、34回のパントリターンで316ヤード、1TDをあげた。
1985年、31回のレシーブで555ヤードを獲得、7TDをあげた。第20回スーパーボウルでも先発し優勝を味わった。なお彼はラップソング『スーパーボウルシャッフル』の一員には入らなかった。
1986年は、怪我のため全休した〔。
1987年9月14日のニューヨーク・ジャイアンツとのマンデーナイトフットボールで94ヤードのパントリターンTDをあげた〔 〕。また同年10月25日のタンパベイ・バッカニアーズ戦では65ヤードのリターンを見せている。この年40回のパントリターンで405ヤード、2TDをあげた〔。
ウィリー・ゴールトが退団した1988年〔、チームトップの45回のレシーブで704ヤードを獲得、3TDをあげた。また40回のパントリターンで405ヤード、チーム記録となる2TDをあげた(この記録は2006年にデビン・ヘスターに更新された。)。フォッグボウルとして知られる同年12月31日のフィラデルフィア・イーグルスとのプレーオフでは、マイク・トムザックから64ヤードのTDパスを含む〔 〕4回のレシーブで108ヤード、1TDをあげて、20-12の勝利に貢献した。
1990年、プランBでダラス・カウボーイズへ移籍した。サンディエゴ・チャージャーズとの開幕戦でトロイ・エイクマンからの28ヤードのTDパスをレシーブ、17-14でチームは勝利し、ホームテキサス・スタジアムでの連敗を14で止めた。この試合でのTDがカウボーイズであげた唯一のTDとなっている。この年7試合に出場、14回のれシーブで172ヤードを獲得した〔。その後、カウボーイズからウェーバーされた彼は、同年11月、マイアミ・ドルフィンズと契約したが、その2日後に解雇された。ドルフィンズでは背番号42番を着用しており、翌週のロサンゼルス・レイダーズ戦では、ドルフィンズの殿堂入りWRポール・ウォーフィールド(背番号42)、ラリー・ゾンカボブ・グリーシージム・ランガーの表彰がハーフタイムに予定されていた。
ベアーズのパントリターナーとして、デビン・ヘスターに次ぐチーム歴代2位の127回で、ヘスター、ジョージ・マカフィーに次ぐ歴代3位の1,171ヤードをリターンし、3TDをあげている。
8シーズンで194回のレシーブで、3,012ヤードを獲得、22TDをあげた。また129回のパントリターンで、1,191ヤード、3TDをあげている。
現役引退後、NCAAディビジョンIIIに所属するイリノイ州デュページ郡にあるイリノイベネディクティン大学のオフェンスコーディネーターを務めた。
1999年に「Bearly Active Productions」を設立した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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