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デビッド・フォン・エリック(David Von Erich、本名:David Allen Adkisson、1958年7月22日 - 1984年2月10日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テキサス州ダラス出身。 「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの息子(三男。レスラーのフォン・エリック兄弟としては次男)。兄弟の中では一番の長身であり、次期NWA世界ヘビー級王者の有力候補とされていた〔『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P28(1996年、日本スポーツ出版社)〕。 == 来歴 == ハイスクールではバスケットボールのスタープレイヤーであり、アメリカンフットボールの選手でもあった。ノーステキサス大学に進学するも、レスラーになるために退学し、1977年にデビュー。1979年5月、全日本プロレスに初来日。1981年5月の再来日では、5月23日に後楽園ホールにて兄ケビンと組んでグレート小鹿&大熊元司の極道コンビからアジアタッグ王座を奪取したが、6月11日に同所で石川隆士&佐藤昭雄に敗れ短命王者に終わった。 次期NWA世界ヘビー級王者の最有力候補とされ、ハーリー・レイスやリック・フレアーに何度となく挑戦。1981年12月26日にはフロリダにて元NWA世界王者のジャック・ブリスコから南部ヘビー級王座を奪取。1983年9月16日にはセントルイスのキール・オーディトリアムでフレアーを破り、NWA世界王座への登竜門であるミズーリ・ヘビー級王座を獲得した。 地元ダラスのWCCW(World Class Championship Wrestling)ではエース格として活躍し、フラッグシップ・タイトルのテキサス・ヘビー級王座には、ブルーザー・ブロディ、ジノ・ヘルナンデス、ビル・アーウィン、ジム・ガービンらを下し通算8回に渡って戴冠している。 1984年2月9日、3日に奪取したばかりのUNヘビー級王座を携え来日。天龍源一郎の挑戦を受ける予定であったが、翌2月10日に宿泊先の都内ホテルで急死。死因は諸説あるが、急性胃腸炎と公表された。 2009年4月4日、フォン・エリック・ファミリーとして父や兄弟たちと共にWWE殿堂入り。インダクターは1980年代前半にダラスで抗争を繰り広げたフリーバーズのマイケル・ヘイズが務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デビッド・フォン・エリック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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