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デビッド・ペイン : ウィキペディア日本語版
デビッド・ペイン

デビッド・ペイン(David Payne、1982年7月24日 - )はアメリカ合衆国陸上競技選手。専門は110メートルハードル。一発勝負には弱いが、予選準決勝決勝とラウンドをこなしていく大会には強い選手である〔及川彩子"スポーツナビ|世界陸上 2009|注目外国人|選手プロフィール/デビッド・ペイン "Y's Sports Inc(英語、2012年3月10日閲覧。)〕。
オハイオ州シンシナティに生まれ、のちに一家は同州ワイオミング(Wyoming)へ引っ越した。陸上競技を始めたのは高校2年生の時である〔USA Track & Field, Inc"USA Track & Field - David Payne "(英語、2012年3月10日閲覧。)〕。ペインはシンシナティ大学在学中、110mハードルと400mハードルを専門としていた。大学生時代、アメリカの学生陸上競技大会カンファレンスUSAConference USA)にて多数のタイトルを獲得し、2004年の大会では模範選手として最優秀選手賞(Conference USA Outdoor Athlete of the Year)を受賞した。また110mハードルと400メートルハードルの両方でシンシナティ大学の学内記録を打ち立て、2度全米大学体育協会(NCAA)の110mハードルの部を制している。2004年にシンシナティ大学を卒業〔。フロリダ州クレアモント在住〔。
2007年パンアメリカン競技大会ではダイロン・ロブレスに次いで銀メダルを獲得する。同年大阪市で開催された世界陸上競技選手権大会では、予選と準決勝で自己ベストである13秒02を記録、決勝で銅メダルを獲得した〔。この大会には本来、全米選手権で4位だったペインは出場できなかったのだが、アメリカ代表のドミニク・アーノルド怪我で出場できなくなったことにより、8月27日電話で招集され、翌8月28日夜に大阪入りし、さらに翌8月29日の予選に出場するというハードスケジュールだった〔。緊急招集での出場であったため、本国アメリカのマスメディアからも「お前、誰? 何で走ったの?」と質問攻めに遭った〔。
2008年の全米選手権では、自力でオリンピックへの出場切符をつかみ、同年に中華人民共和国で開かれた北京オリンピックでは110mハードルでシーズンベストとなる13秒17を記録して銀メダルを獲得した。この時の金メダリストはキューバの選手で、世界記録保持者のダイロン・ロブレスであった。
2009年は大半の室内競技会への出場を見合わせ、オリンピック出場時の調子を取り戻して同年の全米選手権に110メートルハードルに出場し、ドイツベルリンで開催される世界陸上競技選手権大会への出場を決めた。この試合でペインは写真判定の上、0.003秒差の13秒115でテレンス・トランメルに辛勝した。トランメルは北京オリンピック出場者で、世界陸上大阪大会の銀メダリスト、またかつての110メートルハードルの全米覇者である。トランメルは最終ハードルでペインに追い付き、追い抜いたと思われたことから、ペインの勝利は大いなる驚きをもって受け入れられた。なお、世界陸上ベルリン大会ではトランメルに同タイムで敗北、銅メダルだった〔AFPBB"ブラスウェイト 男子110メートルハードルで金メダル、世界陸上ベルリン大会 "2009年8月21日(2012年3月11日閲覧。)〕。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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