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デビー・マレンコ : ミニ英和和英辞書
デビー・マレンコ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

デビー・マレンコ : ウィキペディア日本語版
デビー・マレンコ[ちょうおん]

デビー・マレンコDebbie Malenko1971年10月3日 - )は、アメリカ合衆国の元女子プロレスラー。本名はデブラ・キリアンDebra Killian)、旧姓名はデブラ・ドレイクDebra Drake)。
マレンコ道場(Malenko School of Wrestling)出身。多彩なサブミッション・ホールドスープレックスを使いこなすテクニシャンとして、全日本女子プロレスで活躍。全女の次代を担うと目されていた一人であった長谷川咲恵との「日米新世代タッグ」でも名を馳せたが、足の複雑骨折という大怪我がもとで引退した。
== 来歴 ==
; 1991年
* 来日。来日前はアメリカで消防士をしていた。
* 3月17日、後楽園ホールで、吉田万里子と組み、山元真由美長谷川咲恵組と対戦。いきなりダブルリスト・アームサルトから腕固め、裏アキレス腱固めから膝十字固めと流れるような技を見せた。試合は、エプロンからの吉田のトペ・スイシーダで長谷川が昏倒するアクシデントもあり、最後は2対1の形となり、デビーが山元をノーザンライト・スープレックスで沈め、デビュー戦を飾った。後にデビーは、「(デビュー戦では)羽のように震えていた」と緊張を振り返って語っている。
* 5月26日、後楽園ホールで、井上京子と組み、吉田万里子、エステル・モレノ組と対戦。4人ともルチャ的なスピーディーな動きに対応し、デビーもそれに呼応し切り、手の合う好試合となった。井上京子とのダブル・アルゼンチン・バックブリーカーやダブル・ロメロ・スペシャルなども見せた。
; 1992年
* 同時期に在籍していた、年齢は上だが全女では後輩にあたるテリー・パワーと仲が良く、スパーリングを共に行い、日本での生活に関してもアドバイスをしていた。
* 5月24日、後楽園ホールで、下田美馬と組んで、井上貴子シンティア・モレノ組と対戦。トップロープからの雪崩式ノーザンライト・スープレックスで井上貴子を追い込んだが、貴子のオーロラ・スペシャルに屈した。
* 6月21日、後楽園ホールで、下田美馬と組んで、三田英津子と組んだ、テリー・パワーのデビュー戦の相手を務める。リングアナのコールの際に、馳浩武藤敬司を意識したTシャツ投げを行った。試合では三田からSTFでギブアップを奪った。
* 6月27日、大宮スケートセンターで、「日米新世代タッグ」のパートナーである長谷川咲恵、ジャパン・グランプリ公式戦で対戦。熱戦となったが、長谷川の切り返しの首固めに敗れた。
* 7月5日、後楽園ホールで、テリー・パワーと「アメリカン・タッグ」を結成し、堀田祐美子みなみ鈴香組と対戦。初のアメリカ人同士のタッグを組んでの試合となった。試合はデビーが回転足折り固めで堀田をフォールし、大金星をあげた。記者会見でも彼女たちの興奮ぶりが伝わってきた。
* 7月15日、大田区体育館で、下田美馬と組み、吉田万里子、井上貴子組の保持する、全日本タッグ王座に挑戦。トペ・スイシーダを見せるなど健闘したが、敗戦。吉田、井上の場外へのトペを受けた際に右足首をひねり、試合中にアイシング、テーピング治療を受けており、片足一本で復帰したものの吉田にフォール負け。奇しくも、翌年の大怪我と同じ箇所を同じ技で痛めていたことになる。
* タッグリーグ・ザ・ベストでは、長谷川咲恵と「日米超世代タッグ」を結成。
* 11月2日、博多スターレーンでのタッグリーグ・ザ・ベスト公式戦で、WWWAタッグ王者の山田敏代豊田真奈美組と対戦。圧倒的不利の予想を覆して、30分フルタイムを戦い抜き、引き分ける。チャンピオン・チームを相手に、ほぼノンストップで戦いきったデビー、長谷川組の、そしてデビーのタッグマッチでのベスト・バウトといえる試合であった。
; 1993年
* 全日本シングル王座を獲得。
* 名古屋国際会議場イベント・ホールで、長谷川咲恵と組んでの山田敏代、豊田真奈美組との試合で、豊田の場外へのトペを受けた際に右足首を逆にひねり、脛を複雑骨折。帰国し治療を繰り返していたが、その後自然にフェイド・アウトしていった〔豊田真奈美、山田敏代 vs 長谷川咲恵、デビー・マレンコ - ケガをした試合の画像付き解説〕。
; 2001年
* アメリカ同時多発テロのチャリティーとしてアルシオン東京ベイNKホール大会でバイオニックJエキシビション

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「デビー・マレンコ」の詳細全文を読む




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